猫も歩けば...

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『統治二論 第一論』の内容

 「第一論」は、ロバート・フィルマー卿というひとの王権神授説に対する反論、とくにその王権神授説の論拠になっている『パトリアーカ』(父権統治論?)という本への反論です。
 今回、「第一論」を終わりまで読んでみて、これまであまり訳されなかった理由も納得できました。いまの時代、「社会契約」を考えるためにロックを参照する必要を感じるひとはいても、本気で「王権神授説」に反論するためにロックを読もうというひとはあまりいないでしょう。しかも、この「第一論」は、「王権神授説」一般というより、「ロバート・フィルマー卿の王権神授説」への反論なので、そのまま、一般的な王権神授説批判として読むには向かないところがあります。
 「『統治二論』はどのように読まれるべきか」という仰々しいタイトルのついた訳者「解説」によると、『統治二論』自体が、イギリス革命の流れの中で、王位をめぐる厳しい対立の中で書かれたものだということです。フィルマー卿の『パトリアーカ』は敵陣営の議論の論拠になっていた。だから、当時のロックにとっては、反対派の論拠となっていたロバート・フィルマー卿の議論をフンサイすることが重要だった。そのうえで、王権神授説で政治権力が説明できないなら、じゃあ政治権力はどう正当化されるかという議論を展開したのが、「社会契約論」の古典として知られている「第二論」、一般に『市民政府論』として知られている部分なのです。
 「第一論」を一度通読しただけの私には、「第一論」の構成はまだ十分に掴めていません。この議論はフィルマー卿の『パトリアーカ』を前提として書かれているので、その『パトリアーカ』がわからないとよくわからないということもあるし、主として旧約聖書の解釈をめぐって展開するので、聖書をよく知らない私にはさらによくわからないという事情もあります。「箱船」とか「バベルの塔」とか「カインとアベル」とかのエピソードは知っていても、アダムの子孫の系譜とかが出てくるともうお手上げですし。