猫も歩けば...

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「civil」と「political」、「国家」と「社会」

 さて、 civil と political が同じ意味だということは、語源的に考えれば納得がいきます。
 古典時代のギリシアギリシャ)の都市国家が polis (ポリス)です。ギリシア語では「ポリス」はただの「都市・都会・みやこ」の意味で、現代ギリシア語でもこの意味で使うらしい(ちなみに単に「ポリス」というと現在のイスタンブルのことなんだそうです。やはり「ギリシアの本来の首都は、ビザンティン帝国の首都だったあの都市であるべきだ」という意識があるのでしょう)。しかし、古典時代ギリシアの政治論がその「ポリス」を基準に展開されたことから、「ポリス的な」という表現が「政治的な」という意味に使われるようになりました。それが、現在まで続く politics, political などということばの起源です。
 そして、その「ポリス」に相当するラテン語が civitas で、それに関する形容詞が英語で civil です。だから political と civil とは同じで、本来は違いがない。ギリシア語起源のことばで言ったか、ラテン語起源のことばで言ったかだけの違いです。私には詳しいことはわからないけれど、ロックのばあいでもこの違いはないということでしょう。
 なお、 civitas は「キヴィタス」とカタカナ書きすることが定着し、さらに「ヴィ」という表記を避けて「キビタス」などと書かれることもあります。この『統治二論』の新訳も「キヴィタス」という表記を使っています。でも、古典ラテン語としての発音は(長短音の区別はしないとして)「キウィタス」、教会ラテン語(イタリア式発音)では「チヴィタス」で、どちらでも「キヴィタス」という発音にはなりません。まあ、そういうところでうるさいことを言うつもりはありませんけれど。
 また、「社会」のほうも、この時代の政治論には「国家 対 社会」という発想はあまりないようです。ホッブズでもロックでもルソーでも、「社会」は「自然」と対にして使われる。「自然」のなかで暮らしていた人間が、進歩・進化して、「人間どうしの交わり」を基本にした暮らしかたへと移っていく。この「人間どうしの交わり」を基礎とするのが「社会」状態であり、「社会」段階だというわけです。そして、ホッブズやロックやルソーは、いずれもこの「社会」段階での「国家」を構想したのです。「自然」状態では、少なくとも「社会」段階で考えられるような「国家」は存在しない。だから、この時代の議論では、むしろ「社会」と「国家」は深く結びつけられている。たしかに、「社会」が「国家」の基礎になるという発想はあるのですが、「自律的な市民社会 対 国家」という発想とは少し違います。