猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

「文明」、都市、社会契約

 そして、日本語で「文明」と訳されている civilisation(civilization) は、もともと「 civil になること」という意味です。「civil」は、前に書いたように都市 civitas (キウィタス)の形容詞ですから、「文明」とは「都市的になること」……のはずです(英語は苦手だからよくわかんないよぉ)。
 ホッブズは、「自然状態」の「万人の万人に対する戦争」の下では、人間は農耕も労働も交易も学問も発達させることができないと書いています(『リヴァイアサン』13章)。たとえば畑を耕しても「万人の万人に対する戦争」の下では作物が実ったところで他人に無理やり横取りされてしまうかも知れない。働いても給料ももらえず、不平を言うと蹴り出されてしまうかも知れない。交易をするとだまされるかも知れないし、品物をどこかで横取りされるかも知れない。そんな状態ではだれも産業や交易を発達させようとはしないし、産業や交易に必要な知識を増やそうともしない。つまり、「自然状態」では「文明」は発達しないということです。
 だから、「社会契約論」で構想される政治は、「都市(都市国家)の政治」や「都市化した社会の政治」であり、「文明化した社会に適した政治」、さらには「文明を発達させるための政治」、「都市を発達させるための政治」という性格を持っているといえそうです。