猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

「都市的な国家での政治」の構想

 ともかく、人間が「都市」に住むようになり、「自然の猛威」から遠ざかる一方、「人間どうしの交わり」が人間生活の基本になると、「自然状態」のままではいられなくなります。それが「社会状態」なんだと考えればよい。
 「社会状態」では、「自然状態」が「万人の万人に対する戦争」だからといって、人に出会うたびに「拳を交えるのがおれたちの挨拶だ!」とか言ってケンカするのもどうも骨が折れます(ほんとに折れそうだ)。ロックのように「堕落した悪いやつ」がときおり出現すると考えたとしても、「人間どうしの交わり」が人間生活の基本になれば、「いま出会ったこの相手は堕落した悪いやつなのかどうか?」とかいちいち考えるのも手間がかかる。だったら、「人間どうしの交わりの規約」というのをみんなで決めておこうじゃないか、そして、もしそれを破ったらみんなで罰を与えるということにしよう、ということになる。それが「社会契約」だというわけです。
 そして、その規則を決める仕組みを作り、その規則を運用する人を決めようということで「国家」ができる。それは、そこに住んでいるみんなが、上下の分け隔てなく、対等の立場で作るものだから、その「国家」は「コモンウェルス」だということになります。
 「人間がたくさんいて、人間どうしが出会っていろんなことが起こる場」が「都市」とは限らないけれど、都市がそういう「場」の典型だと考えるとすると、社会契約論で論じられるのは、「都市的な国家での政治」のあり方だと考えてよいのではないでしょうか。