猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

宮沢賢治と網野善彦

 前回の「タイトルは「今、宮沢賢治を世界の解き放つ」」ではなくて、「……世界解き放つ」でしたね。すみません。
 で、この「セミナー」では、slido というシステム https://www.sli.do/ を使ってリアルタイムで質問を受けつけるというのをやっていました。いやあ、ICTすごい。それも、「文字の象形性」が「言語以前」の思いとか衝動とかをよみがえらせる、という話をしているところに、「象形性」から最も遠く、文字をデジタル化して電子ネットワークを通じて質問を送るなんて。なんか……すごい。
 そこで私が出した質問が「無主というと網野善彦を思い出す。網野善彦は、農業文明に圧倒された生きかたに共感を寄せ続けたひとだったが、農学者だった宮沢賢治も同じだったと考えてよいか」というものでした。幸い、数多くの質問のなかで、時間的制約の厳しいなかで回答していただくことができました(ありがとうございます)。それによると、今福さんが賢治についていう「無主」は、網野善彦の「無主」と関係があるということでした。
 網野善彦は日本中世史の研究者です。まだマルクス主義の影響が強かった時期に「中世は封建制社会で農業社会だったというけど、非農業民も同じくらいに重要じゃない?」という問題提起をしたひとです。
 非農業民というと、都市の住民だけでなく、漁業とか林業とか狩りとかを生業とする人たちや、行商人、芸能民(旅芸人のような存在)などです。また、厳密には「非農業民」ではないですが、農民のなかでも稲作農民ではない畑作農民も「非農業民」のほうに入っているようです。
 網野善彦は、「水田で米を作っている農民」だけに注目して描いた中世史はいっぱいいろんなものを見落としているのではないか、という問題提起をしたのです。
 原始の社会では「所有」の関係というのがまだ成立していなかった。人間に対しても、土地に対しても、そのほかあらゆるものに対して「主」(主人や所有者)というものが存在しなかった。つまり「無所有」・「無主」の状態だった。
 封建制社会になって、土地に「主」が現れ、人間にも「主人」が存在するようになった。つまり土地所有と人間どうしの支配関係というのが生まれた(原始社会からいきなり封建制社会になるわけではないけど、それはもう飛ばします)。しかし、その「封建制社会の支配者(貴族・武士・寺社など)‐稲作農民」の関係の外には、あいかわらず原始以来の「無主」の非農業民の世界が広がっていた。
 また、その「無主」の世界は、封建社会の外側に、封建社会の「縁」が通用しない「無縁」の空間として残った。「無縁」社会は、「縁」が通用しないしんどい社会であると同時に、「しがらみ」としての「縁」から解き放たれた自由の世界でもあった。
 非常に乱暴にまとめるとそういう主張です。その「農民(稲作農民)‐非農業民」の対立を軸に、鎌倉幕府の権力構造とか、鎌倉仏教の対立関係とか、中世天皇制の性格(『異形の王権』が有名)とかを見ていくというのが、いわゆる「網野史学」のスタイルでした。
 私は網野善彦の書いたものはいろいろと読みました。網野善彦のファンだったこともあります。現在の私は「網野史学」からはかなり離れてしまいましたが、私がいまも日本中世史に関心を持っているのは網野善彦のおかげだと言ってもいい。
 で、私は宮沢賢治のファンでもあるのですが、いままで「網野善彦宮沢賢治」という組み合わせで考えたことがなかった。今回のセミナーではそのことに気づかされました。
 さて、どうなんだろう?
 「非農業民」ということで言えば、今福さんが採り上げておられた「なめとこ山の熊」は「非農業民」のお話です。山では、だれを主人とするわけでもなく自然と交わっている猟師が、街に出てくると人間社会の「縁」に翻弄される。時代が資本主義の時代なので、封建制社会の支配者とかではなく、街の小資本家を「主」とする「縁」につながれてしまう。そうやって「非農業民」を差別し従属させる世のなかは変えていかなければならない。そういう物語として読むことができます。
 また、賢治の農学者としての実践も、「非農業」ではないけれど、稲作以外の農業に活路を探ろうとする試みでした。当時の日本社会では「稲作農民として成功すること」が求められていました。米の確保が国家的に重要だったからです。しかし、稲作は寒い東北では不利だからということで、賢治は野菜を作ったり花を作ったりした。これも、「農業といえば稲作農業!」という歴史観に異を唱え、畑作農業や牧畜業にも注目した網野善彦歴史観と重なります。
 でも、一方で、賢治は「稲作農民の味方」でもあろうとしました。稲の収量を上げるために、農民から田んぼの状態を聞き出し、細かく肥料設計を行ったのです。
 さらに、資本主義時代の主流の座を占めつつある工業や科学技術にも背を向けているわけではありません。たしかに、「オツベルと象」に見られるように、資本主義的生産が「非人間的な支配」に結びついて行くことには厳しい批判を向けていますが、蒸気機関や電車が人間の行動範囲を拡げていくことにまで否定的なわけではありません。科学技術を使って空気中の二酸化炭素を増加させ、地球の平均気温を上昇させて冷害を根絶するという物語まで書いています。もちろん、それは、地球の平均気温が上昇すれば災害が大規模化して人類の生活を脅かすとか、海水面が上昇して島や海岸地帯が水没の危機にさらされるとかいうことがわかっていない時期のことです(この「二酸化炭素が増加して気温が上昇する」ということが当時科学的にどこまでわかっていたか、ということも調べてみたほうがいいのでしょうけど……今回はパスします)。
 宮沢賢治は、稲作農業や「工業と科学技術」の時代に、封建制社会や資本主義社会の「所有」関係や「主になる‐主に仕える」関係を超えた人間関係を理想とした。いや、人間だけではない。この世の万物の関係を、「持つ‐持ち物にされる」・「主になる‐主に仕える」の関係から解放しようとした。でも、それは、稲作文明や工業文明を否定した、もっと言えば「文明」を否定したというのとはちょっと違うと私は思います。
 宮沢賢治は「法華経の行者」と呼ばれるほど法華経を信じたひとでした。それは、法華経に、理想的な「この世の万物の関係」を実現する方法を求めたからでしょう。仏教には、人間だけではなく、動物はもちろん植物やこの世の一切のものを「衆生」と呼んで、人間と同じように悟りを開く可能性を認める考えがあります。
 また、そうかと思うと、賢治は、当時の日本でいちばん急進的だった社会主義政党無産政党)の労働農民党の支持者でもありました。社会主義は仏教を含む宗教に対して否定的なのに、また、賢治は社会主義を基礎づける唯物論には反対だったのに、です。
 社会主義はもともと工業社会から生まれた理想です。賢治が社会主義に関心を持ち、自分の詩集(『春と修羅 第二集』。自前で印刷する計画だったのに、印刷機労働農民党に寄附してしまったために発行できなかった)の発行を犠牲にしてまで社会主義政党を支援したのは、工業社会と、「所有」関係や「主になる‐主に仕える」関係(支配関係)を超えた社会のあり方とが両立できると信じたからでしょう。
 その方法が「デクノボー」なのか? それも一つだというのはそのとおりでしょう。しかし、それだけで言い尽くせるかというと、私はそうでもないと思います。
 賢治は自分の生きかたを「雨ニモ負ケズ」という詩(詩の草稿?)に託した。でもそこに描かれているのは、小さなかや葺きの小屋にいて、稲の束を背負うオバサンを助けてあげるような、農村生活者としての生きかたです(野原の松の林の蔭の小屋に住むのが「農村」的なのか、むしろ「農村」からも距離をとっているのではないか、というようなことはここでは議論しないことにします)。そして「デクノボー」はその理想的な農村生活者的な生きかたに関連して出てくる。ここまではいいと思います。この詩には都会的な生きかた、工業や科学技術のことはほとんど出てきません。
 では、賢治は、工業や科学技術が存在しない社会を構想したか? そんなことはないと思うのです。
 網野善彦は「封建制社会‐稲作農民」の世界の外側に「無所有」・「無主」の世界を見て、そちらもきちんと見ないと十分な歴史像は描けないことを指摘しました。でも、「荘園公領制」の概念を主張したことからもわかるように、「封建制社会の支配者‐稲作農民」の世界を無視したわけではありません。むしろ、荘園についても、封建制社会の支配者たちについても、とても詳しく知っていたという印象があります。

 荘園も、荘園と同じような上流貴族の収入確保の手段になっていた「公領」も、「封建制社会の支配者‐稲作農民」の関係で成り立っている場なのですから。「封建制社会の支配者‐稲作農民」の世界もその外側の世界も両方を見ないと歴史は描けない。ということは、「封建制社会の支配者‐稲作農民」の世界もきちんと見なければいけないということです。
 資本主義時代の世界では、「資本主義‐工業」が、人間どうしの関係だけでなく、人間と自然の関係もつくり出している。でも、それに組み込まれたりはみ出したりしながら、農業社会も存在しているし、「非農業」の生業や「非農業民」も存在している。そういう全体のなかで、「所有」関係やそれと一体となった支配関係(「主になる‐主に仕える」関係)を超えた人間と人間の関係、人間と自然の関係を見つけ出していくことが賢治の理想だったのではないかと私は思います。それは、農業文明や工業文明の単純な否定ではないでしょう。
 「雨ニモ負ケズ」が賢治の重要な作品だとしても、その理想へ向かう方法がこの一作品にだけ凝集されているとは私には思えない。まして、その理想が「デクノボー」の一語に凝集されているとも私にはちょっと思えないのですが。