猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

「場に引っかかる」から重さが生まれる

 最初に「電弱統一」が構想されたのは、電磁相互作用も「弱い相互作用」(原子核ベータ崩壊させる相互作用)も電荷のやりとりがあり、似ているという理由からだったと前に読んだことがあります。
 で、電磁相互作用は光子(フォトン)が媒介している。光子は「光の粒子」ですから、つまり、電気力も磁気力も広い意味の「光」として伝わるわけです。その「広い意味の光」を「電磁波」という。「電磁波→危険」という連想が社会的にできているように感じますが、太陽の光も蛍光灯やLED電球の照明も、テレビやラジオの電波も「電磁波」にはちがいありません。「電磁波」がなければ私たちはものを見ることもできないのです。
 ところが、電磁相互作用に較べて「弱い相互作用」はゆっくりと起こり、到達距離も短いので、「弱い相互作用」を媒介している粒子は大きい質量(重さ)を持っていることが予想されました。この関連も私にはよくわからないのだけれど、粒子が大きいから動きがのっそりしてるということなのかな? この「弱い相互作用」を伝える粒子が「W粒子」と「Z粒子」です。なぜ「弱い相互作用」を伝える粒子が複数あるかというと、「弱い相互作用」粒子には電荷がある(電気を帯びる)からです。プラスのW粒子、マイナスのW粒子、電荷を持たないZ粒子の3種類があるということになるわけです。
 「電弱統一」理論が克服しなければならなかったのは、電磁相互作用を伝える光子には重さがないのに、「弱い相互作用」を伝える粒子には大きな(もちろん「素粒子としては」大きな、ですが)質量を持っているという問題でした。そこで、「電弱統一」理論では、光子にもW粒子にももともと質量はなかったと構想しました。ところが、宇宙が最初の高エネルギー状態から冷えてくると、「自発的対称性の破れ」という現象が起こり、「ヒッグス場」というものが生まれて、WとZはその「場」に引っかかって質量が生まれてしまう。しかし光子はヒッグス場に引っかからないので質量は生まれない。……ということなんですが、なんかよくわからない。
 まず、W粒子やZ粒子の「質量」というのは、「本来の質量」ではなくて、そのヒッグス場に引っかかることで粒子の動きが制約されることで生まれた「見かけの質量」だということのようです。ヒッグス場には「ヒッグス粒子」というのが存在して、それがW粒子やZ粒子の「足を引っぱる」ので、質量を持っているように重々しく動くことしかできない。でも、光子はなぜかヒッグス粒子に引っかからないので、以前と同じく質量を持たないで軽々と動ける。
 もっとも、粒子はその「場」から与えられた条件でしか動けないし、ヒッグス場が成立する前は別の「場」の制約を受けていたのですから、ヒッグス場が成立する前を「本来」と決めつけることもできない。「見かけの質量」と「本来の質量」というのも、「ヒッグス場成立後の質量」と「ヒッグス場成立前の質量」と言ったほうが正確なのかも知れませんが……どうなのかな? ともかく、ここでは「ヒッグス場ができる前の質量」が「本来の質量」だとしておきましょう。