猫も歩けば...

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宮沢賢治と量子力学

 TRIP 新刊として、一週間で『春と修羅量子力学』という評論を作って持って行きました。「花巻だから宮沢賢治」ということも少しはあるのですが、それより、前から「宿題」として抱えていたことの「中間報告」です。秋葉原御徒町の中間にあるカフェ「月夜のサアカス」さんで宮沢賢治の関連の本を読んでいてふと浮かんだ疑問への回答案です。でも学校の「宿題」って「中間報告です」って途中までしかやってないものを提出すると怒られますよね。
 それはともかく、宮沢賢治相対性理論の影響を受けていたことは作品からわかる。具体的にどんな本を読んで相対性理論を知ったかという考証もされているらしい。ところで、20世紀の科学の二大潮流というと「相対性理論量子力学」です。では、量子力学のほうはどうだったんだろう、宮沢賢治量子力学の影響を受けていたのか、という問題です。
 ちょっと調べてみれば、少なくともいま私たちが知っているような「量子力学」の影響は受けていないことがわかります。「反粒子」の存在が予言され、立証されたのも、中性子が発見されて、原子核を一つにまとめる力が電磁気の力(電磁相互作用)では説明できないことがわかった(「強い相互作用」の発見)のも、宮沢賢治の最晩年です。詩集『春と修羅』の刊行や「銀河鉄道の夜」の書き始めが1924年ごろということで、この時期には「光も粒子の一種である」ことはわかっていたけれども、「電子も波の一種である」というほうはまだわかっていなかった。不確定性原理も、年代的には宮沢賢治の晩年には提唱されていますが、宮沢賢治が知っていたかどうかはよくわかりません。
 けれども、宮沢賢治の作品を読んでみると、自分の存在の確かさへの不安という、専門外のひとが量子力学に接したときにまず感じる感覚がよく表れていると感じます。
 私がこれまで読んだかぎりでは、専門家は、量子力学的不確定性をこの世のなかの不確定性や不安感に直結されてはたまらないという感覚を持っているようです。なぜなら量子力学的な不確定性は人間の生活にはまったく縁のない極微の範囲でしか現れないからです。しかし、専門外のひとにとっては、「物質は粒子のレベルまで細かく見れば場の振動の集合体である」ということを知るだけで大きな驚きです。
 宮沢賢治は仏教の経典を直接に読んでいたようです。仏教では、極微から超巨大な宇宙まで、世界の大きさの広がりを説いていますし、「すべては空である」という認識や、そこからどうやって人間の認識が生まれてくるかという議論もある。乱暴な言いかたをすれば、量子力学でも「すべては真空」なのであり、その「真空」がさまざまに振動することですべての物理現象が起こっていると説明することができます。宮沢賢治は今日の量子力学を知ってはいなかったわけですが、こういう点では、今日、私たちが量子力学の世界観を受容しているときの感覚を共有していたのではないかと感じました。
 それで、そういうことをまとめたのが TRIP の新刊です。次のイベント以後も持って行きます。
 この文章を書くために久しぶりに宮沢賢治の作品を読みました。
 宮沢賢治の書いたものに最初に夢中になって読んだのが高校生のころで、このころ読んだのは谷川徹三編の岩波文庫の作品でした。小学生のころにも読んだはずなのですが、そのころはあまりよくわからず、何を読んだかさえよく覚えていません。ただ、国語の試験問題に「銀河鉄道の夜」と「グスコーブドリの伝記」が出題されて、何か知らないけど感動したのを覚えています。谷川徹三編集の宮沢賢治作品は、校本全集による緻密な考証から見るとかなり問題があるわけですが、「銀河鉄道の夜」などは、私はいまもまっ先に思い浮かべるのは、ややセンチメンタリズム過剰の谷川徹三ヴァージョンです。
 そのあとは、宮沢賢治生誕百年の前後に、校本全集を基礎にした筑摩書房の文庫版全集を買って読んだので、それからでも十年以上経っています。
 やはり読んだ印象は変わるもので、いろんな知識を持ってしまうと、たしかに最初に出会ったときのような新鮮な感動は少なくなってしまう。そのかわり、前に「よくわからない」と敬遠していた作品に興味を感じることも多かった。
 その分野の一つが詩で、前には読み飛ばしていた詩が、今回はわりと近しいものとして読むことができました。やっぱり、いくつかの方向からイマジネーションが持てたほうが、詩を読んで親しむにはよいと感じます。ある「読みかた」に凝り固まると「正解さがし」になってしまうし、そうすると詩の世界の多彩さが消え失せてしまう。
 これ以来、体調が悪いときには、宮沢賢治が病気(結核?)で寝ているときに書いた「丁丁丁丁丁」で始まる異様な詩が思い浮かぶようになりました。