猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

本題に入る前のお知らせ

 えーと、「アトリエそねっと」の同人誌のことなんですけど。
 ファンタジー(いちおう)『黄昏の大地』の第三巻は岩漫にも間に合わなくなりました。
 もともと8月のコミティアに間に合わせようとしていて、間に合わなくなり、岩漫に間に合わせるべく準備を進めていたのですが、今週、予定外の仕事がいろいろと私のところに回ってきたために、けっきょく印刷所に入稿している時間がなくなってしまいました。
 秋のコミティアに当選すれば、そのときに出したいと思います。
 すみません。よろしくお願いします。

佐藤文隆『破られた対称性』PHPサイエンス・ワールド新書、isbn:9784569709000

 2008年、南部陽一郎小林誠益川敏英の三人の日本人がノーベル物理学賞を受賞しました。この本は、このノーベル物理学賞をもたらした三人の研究、とくに小林‐益川理論の説明と、それを生み出した日本の学会の雰囲気について、現在では日本の理論物理学界の長老となった佐藤文隆さんが説いた本……と言っていいのかな。
 今年になって、専門でも何でもないのに、「対称性」の話なんか書いた者としては、やっぱり読んでおかないといけないだろうと思い、買ってきたのですが。

なぜこの本が難解なのか?

 正直に言えば、ともかく 難解 でした。
 まず、ところどころに出てくる専門用語がよく理解できない。専門用語を説明する「コラム」も設けられているのだけれど、私には「コラム」自体が難解で、しかも「コラム」を読んでいるうちに本文の流れを忘れてしまうので、どうしようもありません。
 用語だけではなく、概念がよくわからないとか、なぜそうなるのかがわからないというところもあります。たとえば佐藤さんは素粒子の「大きさ」とは何かということの説明で「波というからには一波長よりは大きいはずだからである」(62ページ)と書く。私はこれを読んで「え?! 一波長より短くても、なんか波打ってたら波は波じゃないの?」と思いました。それに続けて「ここでいつの間にか、「素粒子は波」となっていて粒子ではないことに気づく」と佐藤さんは書いているんですが、「いつの間にか……気づく」んじゃなくて、著者がそういうふうに話を進めたからそういう話になったんじゃないですか。佐藤さんの思考の道筋にこちらの思考がぴったりはまればその説明でよくわかるんでしょうが……私ははまらなかった。だから難解でした。
 もう一つ難解なのは、全体の「筋」がつかみにくいからです。ノーベル賞日本人3人(化学賞も入れれば4人)受賞というエピソードから始まるのはわかるにしても、それがどうして「宇宙と素粒子 ― 私の遍歴 ―」で終わるのか、いまでもよくわかりません。
 難解なのは、たぶん、作者の佐藤さんに「あまりにもわかりやすく一般向けに語られる科学解説書」への強い抵抗があるからだと思います。理科の基礎も十分に身につけていない読者を相手に、「超対称性」とか「超ひも理論」とかいう、まだ実証の乏しい仮説の段階にすぎない理論を、いかにも「現代科学が解き明かした宇宙の真の姿っ!」みたいに解説することへの危惧、そして反発というのが、この本の「難しさ」の一つの理由だと思う。
 私みたいに、理科の基礎も十分ではないのに「対称性」とか好んで語っている者としては、はい、すみません、としか言えないです。

「数学には一つの正解しかない」ということはない

 二つめの「難解」さには触れないとして、一つめの点についてです。とくにわかりにくいのが、理論物理学、とくに素粒子物理学で使われる数学の難解さです。
 そりゃそうです。「高等数学」なんだから。でも、その「わかりにくさ」を追究してみると、その一つの大きい理由の一つは、高校まで習う数学で当然とされていたことが通用しない数学が理論物理学では大手を振って使われるということでしょう。えーと、「大手を振る」のが数学さんなのか、数学を使う人なのかは、考えてもあんまり意味がないので、考えないことにしましょう(そういうこと書くからわけがわからなくなるんだって)。
 たとえば、とくに数学に関心のない人や数学の専門的知識を持たない人にとっては、「a×b=b×a」という「法則」は、小学校で「九九」を習ったころから中学・高校までずっと叩きこまれてきた「法則」です。ひと皿4個盛りのりんごが3皿でも、ひと皿3個盛りのりんごが4皿でも、けっきょくりんごは12個でしょう――というわけです。それは「ひと皿6個盛りのりんごが5皿」と「ひと皿5個盛りのりんごが6皿」でも、「ひと箱60個入りのりんごが10箱」と「ひと箱10個入りのりんごが60箱」でも同じです。ま、りんごの場合、食べるときの都合とか、運びやすさ運びにくさとかは違うけどね。ひと箱10個入りで60箱は管理も運搬も面倒そうな気がする。
 でも、個数については、あくまで「a×b=b×a」であるわけです。
 しかも「文学や社会については答えはさまざまだが、数学は一つしか正解がない」と、数学以外の科目でも何度も繰り返して教えられる。というより、国語の先生とかが「数学は答えが一つしか正解がないけど、文学にはいくつも答えがありますから」とか教えるんだな。でも、いま大学入試ってマークシートが多いみたいだし、そうなると国語でも「国語でも正しい答えはたった一つです」って教えてるんだろうか?
 国語のことはここではこれ以上触れないとして、だから、生徒は「数学の正解は一つだ」と覚えていくわけです。そして、高校まで行って、たぶん理系を専門にしたいと思う人だけが「行列式」というのを学び、そこで「A×B=B×Aとは限らない」という数学に出会い、とまどう。数学でも場合によって「法則」が成り立たないことがあるの?――というわけです。それがいまの現実ではないでしょうか。
 ところが、量子力学のような理論物理学に出てくる数学は、その「A×B=B×Aとは限らない数学」を基礎に発展させた数学だったりするわけです。だいたい、小林さんと益川さんが何でノーベル賞を受賞したかというと、「小林‐益川行列」という「行列式」によって、「クォークが少なくとも三世代存在する」ことを論証したからで、その「行列」というものの性質がわかっていないとよくわからない。

なぜ「数学には一つの答えしかない」のか?

 だいたい「数学には一つしか答えがない」ということ自体が、イデオロギーか、思いこみか、ものを考えるときの労力の省略法か、生徒を混乱させず、かつ怠けさせないためのお説教に過ぎない。「1+1=2」で止めておいたほうが話がごちゃごちゃせずにすむのであって、「だって二進法だったら 1+1=10 じゃん?」とかいちいち考えているとめんどくさい。「32÷2=19」とか答えた生徒に対して「ではどんな場合にそれが正解になるか考えてみなさい」と犀川助教授のような質問をするより(するかな、犀川先生なら……?)、「それ、9じゃなくて6のまちがいでしょ?」と指摘するほうが、数学の授業は混乱せずにすみます。
 だから、イデオロギーも思いこみもある場合には有用だろうし、ものを考える労力を省略すること、生徒を先生の設定した「正解」に導くことも必要なことでしょう。それを否定するつもりはありません。ただ「数学には一つしか答えがない」ということを絶対化してはいけないということです。
 たとえば、平行線は交わらないことになっているわけですが、平行線を描いてある紙を傾けて見れば、そうとは限らない。平行線は地平線のところで一点に集まる。それがパースの作画の基本だったりするわけです。三点パースとかになるとすごい描きにくいですが、それよりキャラの身体のバランスがちゃんと描けるようにならないと……ってそんなことはどうでもよくて。
 つまり数学の答えだって視点や目的が変われば変わるわけです。だから数学にとって重要なことは、「世界で唯一の正解」にたどり着くことではない。同じ体系でできるだけ多くのことを矛盾なく説明できることです。1+1=2であれば、 100+100=200 だし、 0.01+0.01=0.02 だと判断して、それで通用すればそれでいい。しかし通用しないこともある。
 秒速3メートルで歩いてる(時速10.8キロ。かなり早歩きです)Aさんのところに、真向こうからやはり秒速3メートルでBさんが歩いてきたら、Aさんから見たBさんの速さは 3+3=6 で秒速6メートルです。ここでは「3+3=6」の数学が通用する。もっともほんとに正面から歩いてきたら秒速6メートルでぶつかってけっこう危ないから早めに避けたほうがいろいろいいと思うけど。
 しかし秒速30万キロメートルで飛んでいる粒子Aに(時速10億8千万キロメートル。粒子はあんまり時速換算はしないけど)、正面から秒速30万キロメートルで粒子Bが飛んできたら、粒子Aから見た粒子Bの速度は秒速30万キロです。60万キロにならない。ここでは「30万+30万=60万」の数学が通用しない。で、じゃあどうやればいいのかというので、いまローレンツ変換の式を解こうとしたんだけど。
 挫折しました。ごめん。やっぱり数学の道は険しいです。しかもローレンツ変換はルートとか2乗とか割り算とかで、行列式みたいな「高等数学」は出てこないのに。
 でも、実験用加速器の中ってだいたいこの秒速30万キロぐらいの速さ(光速の99パーセント以上)で粒子が回ったりしてるわけで、加速器一周が30キロだったとして、一つの点を一秒に一万回も粒子が通り過ぎるわけ? 通り過ぎるだけならまだいいけど、その速さと軌道をコントロールしてるわけでしょ、加速器とか加速器使いの人たちって。それはすごい技術だと思ってしまいます。しかも、計画した場所で、計画した速さで、それをほかの粒子とぶつけたりするわけでしょ? いや、なんかすごい神業な感じがしますよ。
 ともかく、観測された事実が計算とずれてしまったとき、では、この事実に対してはどんな計算が適切なんだろうと考え、検証するのも、数学にとって必要なことです。
 また、絵を描くときにより役に立つのは、「平行線は交わらない」という「法則(定義)」よりも「平行線は地平線で(無限遠点で)交わる」という「法則」のほうです。いや、それは絵を描くときにも平行線はちゃんと引けたほうがいいけどね……もちろん。
 で、理論物理学が相手にしている素粒子レベルでは、そういう「普通の数学」の「法則」では解けないことがいろいろと出てくる。「普通の数学」とは違っていても、素粒子の動きをできるだけ統一的に説明できる「数学」でないといけない。そこで、理論物理学には、通り一遍数学を習っただけの人にはよくわからない「数学」がいろいろと出てくるわけです。
 この本では、それを、紙幅の許すかぎり、飛ばさないでていねいに説明している。それがわかりにくさの一つの理由だと思います。