猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

佐藤次男『幻の潜水空母』のつづき

 ところで、この潜水空母にどうして14センチ砲と魚雷発射管が必要だったのだろうか。アメリ東海岸パナマ運河まで出かけていって奇襲攻撃をかけるならば、それまでの行動は隠密に行わなければならないはずだ。よほど有利な条件がないかぎり、魚雷攻撃をしている余裕などないと考えるべきだ。じっさい、戦争末期にアメリカ軍の基地になっていたウルシー環礁攻撃に向かった伊401潜は、無警戒なアメリカ軍艦艇や船団に出会っても、作戦遂行を優先するために攻撃をひかえていた。まあ、攻撃機晴嵐で攻撃を成功させて、帰途に魚雷攻撃で暴れ回るということは考えられるだろうけど。
 まして、浮上して14センチ砲で敵船を沈めたりしている余裕はないはずだ。攻撃機発進作業中で、急速潜航もできないときに攻撃されたら、砲で反撃するというのも考えられるけど、そういうけっこうピンチな状況で、たった1門の14センチ砲で反撃するというのもあまり現実的でない。備砲は対空機銃だけで十分で、魚雷発射管もなくして、航空攻撃だけに特化した艦にしたほうがよかったようにも思える。
 でも、このへんが「貧乏海軍」の思い切れないところで、「潜水空母」なんだけど状況によっては魚雷攻撃にも使えるようにしておかないとせっかくのチャンスを見逃すかも知れないし、14センチ砲で敵の小艦艇や商船を沈めることもできるようにしておかないと、魚雷は高いし……と考えたのだろう。防空艦のはずの秋月に魚雷発射管を積んでしまったのと同様の「気の多さ」がここにも現れている。さすがに大淀に発射管を積むことまではしなかったけど。
 意表をついたことを考えて特殊用途のものを造る→その実現のために知恵を絞る→プランができたら「どうせ造るんなら、特殊用途しか果たせないようではもったいないから、別の用途にも使えるように」といろいろとオプション装備をくっつける――というのがやっぱり「貧乏な帝国海軍」としては自然な発想なんだろうな。
 それは、敗勢が濃くなってきて、米本土またはパナマ運河空襲の決行よりも急を要する問題があるのに、手間のかかる潜水空母とか特殊攻撃機とかの開発と生産に踏み切ったところにも現れている。それだけの労力と手間と資材を海防艦と本土防衛用の戦闘機に振り向けておけば――でもそれでも敗勢をひっくり返せなかっただろうというのが辛いところだろう。
 日本の潜水艦戦略が、やたらと細かく用途を指定して多くの種類のすぐれた潜水艦を造り、けっきょく使いこなせなかったというのも、批判されるところではある。ただ、ヨーロッパ戦線のばあいと違って、北太平洋には破壊すべき通商ルートは存在しなかった。インドネシアは日本に占領され、中国方面も貿易港の上海とか香港とかが陥落してしまえば、そこに物資補給に向かう連合国艦艇は存在しない。オーストラリアが戦場になって、オーストラリアへの補給路を分断しなければ……ということにでもなっていたら別だけど。
 だから、日本帝国海軍のばあい、「アメリカみたいに通商破壊用の潜水艦をたくさん造っておけば」というわけにも行かなさそうで、やっぱり、潜水艦を造るのであれば、それは敵水上艦隊の攻撃のための兵器として造らざるを得ないという宿命はあったようだ。それだったら、いっそのこと潜水艦はやめて、そのぶんを対潜兵器にあてれば……ということも考えられるけど、それは「主力艦どうしの艦隊決戦で戦争の勝敗が決まる」という前提で戦略を立てているかぎり、優勢な敵主力艦を潜水艦で沈めるという戦略を放棄することになる。日本でアメリカ潜水艦の被害が激増するのは太平洋戦争後期に入ってからだから、そういう「先見の明」を持つことを後から要求することはできない。
 それにしても、じつに不謹慎な言いぐさながら、敗勢に立ちはじめてそれでもすごく手間と時間のかかる潜水艦の建造に取りかかり、超人的な労力をそれに注ぎこむあたり、オフセ本の締切を落としてからそのオフセ本を上回る分厚いコピー本づくりを計画してコピーから紙折りからホッチキス留めまで徹夜の大作業をするというメンタリティーに通じるものがあって……だから帝国海軍を嫌いになれないところがあるんですね。