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佐藤次男『幻の潜水空母』光人社NF文庫(isbn:4769823134)

 日本帝国海軍が造った「潜水空母」伊400潜型についての本である。
 伊400潜型は、潜水艦に攻撃用の航空機を積んでアメリカ合衆国本土を攻撃しようという壮大な意図によって造られた。この本の一つの眼目は、その計画が開戦時の連合艦隊司令長官山本五十六によって発案されたということを証明することにあったようだ。
 その目的のために造られた伊400潜型は、基準排水量で3400トンあまり、満載排水量で5000トンを超えるという大型の潜水艦となった。防空駆逐艦秋月級や小型軽巡洋艦夕張のような大型艦で、日本の潜水艦では飛び抜けた最大型艦だったし、当時世界最大の潜水艦でもあった。乗った乗員が、艦の大きさ、とくに横幅の広さに驚いたという点など、水上艦艇での戦艦大和に匹敵する存在と位置づけていいのではないか。艦はとくに戦果を上げることなく終わったけれど、その造船技術が第二次大戦後の世界の造船技術に貢献したらしいという点も似ている。もっとも、大和のばあいは、「巨大バルバスバウ(球根状船首)」などが民間にも応用されたのに対して、伊400潜のばあいは、無寄港で地球を2周できるというような面がやっぱり戦略型潜水艦とかに応用されたんだろうなという程度で、やや「応用範囲」に違いがある。でも、これは、水上艦艇と潜水艦の違いだろう。
 潜水空母とは言うけれど、搭載機は水上攻撃機晴嵐」3機のみで、「晴嵐」攻撃隊を護衛する戦闘機はない。もし計画どおりに18隻が完成していたとしても、晴嵐攻撃隊は総勢54機、いったん帰投して再出撃しないかぎり波状攻撃もできない。しかも、艦上攻撃機並みの爆弾か魚雷を積むとフロートをはずさなければならないので、一回きりの「使い捨て」になってしまう。
 だから、相手がほんとうの航空母艦を連れた機動部隊では勝ち目がない。水上攻撃機としては高性能と言っても、最高速度が500キロに達しないので、たとえばヘルキャットとかに迎撃されると任務達成はかなり難しい。相手が油断しているところを奇襲して一撃で大打撃を与えるというやり方でないと大戦果は期待できない。
 なお、この本によると、伊400潜型の最初の目標はアメリカ合衆国東海岸の主要都市(ニューヨークとかワシントンとか)の爆撃であり、「パナマ運河爆撃」は戦況が苛烈になってから浮上した案なのだそうだ。
 山本五十六長官の案は、ともかくアメリカ合衆国に息つく暇もなく連続して大打撃を与えて戦意を喪失させ、講和に持ちこむというところにあったようだ。ニューヨークやワシントンが奇襲で爆撃されたら、アメリカ人は、戦意を喪失するどころか、猛り立って反撃に乗り出すだろう。それは九・一一事件後の世界を見ている私たちにはよくわかるし、当時のアメリカ人がいまのアメリカ人より「軟弱」だったということはたぶんないだろう。だから、山本長官のこの戦略が「平和に慣れて戦争を嫌う軟弱なアメリカ人」という、あんまり現実的でないアメリカ人像に依拠しているのは確かだろう。
 そういう案がどうして浮上してきたかはもう少し考えてみる必要がある。それまで日本が戦ってきた数々の戦争(「事変」も含む)の影響も考えに入れなければならないだろう。またヒトラー再軍備やラインラント進駐、ズデーテン併合などが、ヨーロッパ大国諸国の宥和政策によってともかくも成功してきたことも影響しているだろう。ただ、総力戦になったときの国力差は歴然としているのだから、奇襲で繰り返して大打撃を与えて戦意を喪失させ、講和に持ちこませる以外に、アメリカに勝つ方法が考えられなかったという点も考えておかなければいけないのではないか。