猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

駄作の山から傑作は生まれる

 去る2月26日にイベント「Howling in the Night 2011 押井守、《戦争》を語る」に行って来ました。今年で晴れて(ほんと晴れた。会場からスカイツリーが見えたんだけど、まだ建造中だけあって、日が暮れちゃうと思いのほか目立たないですね)10回めということだそうです。ただ、残念ながら、このイベントは、話された内容をいっさい外部に伝えない、記録にも残さないという趣旨で開かれているので、内容についてここに書くことはできません。
 今回、このイベントに合わせて『押井学会報 2011 号外』という同人誌が出て、それに一文を書いています。第二次大戦ごろまでの空母の歴史についての文章……のつもりだったのですが、龍驤まで来たところで執筆時間が切れてしまいました。それにしても、あの文章に書いた程度のことは、あのイベントにいらしている軍に詳しい方ならばだいたいご存じだろうな――といまは思ったりしますが。勢いで書いてしまいましたけど。
 これを書いていて気がついたのは、「へんな兵器」を造る国が「画期的な兵器」を造るんだなということでした。
 イギリスは戦艦ドレッドノートを造ったことで世界の戦艦の水準を一挙に引き上げ、それまでのすべての戦艦を旧式化してしまった。ただ、自分のところのすべての戦艦も旧式化してしまったというのが問題だったりするわけで、海洋の覇権と一体だった大英帝国の没落はこの時期から始まるのだけど……ドレッドノートに関しては、新型戦艦の時代になっても大英帝国は他の海軍国に優越できるという自信があったんだろうなぁ。ともかく、日本は、自前で戦艦建造を続ける一方、日露戦争でロシア戦艦をたくさん獲得して、それを戦力にあてようとしていたら、それがまとめて旧式化してしまったので大きい衝撃を受けてしまいました。
 で、ドレッドノートは、それまでの戦艦は、12インチ砲の主砲を連装2基4門積む程度が標準だったのに、副砲(中間砲)を廃止するのと引き替えに思い切りよく連装5基10門も積んだことが画期的だったわけです。
 あと、ドレッドノートはタービンを積んで、戦艦でありながら高い速力を実現したことでも画期的だと言われます。機関のほうの発達は私にはよくわからないので、タービンを積んだことがどれだけ画期的だったかはよくわからないのですが、たしかにそれまでの戦艦はレシプロ(基本的には蒸気機関車が車輪を回すのと同じ方式)の蒸気○段膨張というのが普通だったようですね。たしか、タービン機関が船で実用できることが実証されてからまだそんなに経ってなかったんじゃないかな?
 では、日本海海戦以後、ドレッドノートが出現するまでの戦艦はというと、主砲は12インチ砲2基4門でも、それを補助する、比較的口径の大きい砲を何門も積んでいた。主砲よりも小さいけれど、普通の副砲よりも大きな砲を「中間砲」と呼んだりする。でも、主砲と中間砲では、砲の条件がまったく違うので、同じ目標を狙うときにも別々に照準を定めなければならない。だったら、中間砲をやめて、主砲をたくさん積んだほうがいいのではないか。そういう「思い切り」でドレッドノートは造られたわけです。
 これは成功していたから「画期的な新戦艦」になったわけで、失敗していたら「へんな新戦艦を造ったけど役に立たなかった」ということに終わったかも知れない。ドレッドノートだって、たとえばタービンが計画どおりの性能を発揮しないとか、船体が連装主砲5基の重量や一斉射撃したときの衝撃に耐えられないとかだったら、失敗した可能性もなくはないわけです。
 当時のイギリスはときどき「思い切り」はいいけれど「へんな兵器」を造る国でした。
 たとえば、『押井学会報』に寄せた原稿にも書いたとおり、第一次大戦期、15インチ連装砲塔2基や18インチ砲単装2基(実際に積んだのは1門だけ?)を積んだ「巡洋艦」を造ったりした。15インチは当時の戦艦主砲の口径でしたが、18インチ砲は大和型ができるまで戦艦主砲としても実用されることのなかった口径です。巡洋艦としては大型だったにしても、その巨砲は「取扱注意」のしろもので、あんまり役に立たなかった。作戦目的は違うけれど、小さい船体に巨砲を積んだという点では、日本が日清戦争のときに建造した「三景艦」と似ているのかな?
 もっとも、役に立つか立たないかは、その機会にあるかどうかにも左右されるわけで、もし、戦艦の侵入できないような浅い海に優速で侵入し、戦艦主砲並みの陸上砲撃を行わなければならないような場面が第一次大戦で多くあれば、この巨砲搭載大型巡洋艦も「欠点はあるが、注目すべき兵器」になり、多くの国が似たような巡洋艦を造ることになったかも知れません。……いや、あんまりないかな? やっぱりあれで主砲撃ったら安定悪そうだもんね。でも、吃水が浅いわりに巨砲を搭載している艦艇ってたしかあったような……。
 なお、この3隻は「大型軽巡洋艦」と呼ばれることも多いようですが、ここでいう「軽巡洋艦」はワシントン海軍軍縮条約でいう「軽巡洋艦」とは別物です(それはそうで、ワシントン条約では「備砲が6.1インチ以下」が軽巡洋艦なのですから)。ではなぜ「軽巡洋艦」というかというと、当時は、兵装が戦艦より劣るけれども、優速で、戦艦に準じた装甲も備えた「装甲巡洋艦」という艦種があったので、その装甲巡洋艦よりも「軽い」巡洋艦だから、ということでしょう。
 それで、この「巡洋艦」は、巡洋艦としては大きな船体を利用して、後に空母に改造されることになりました。さらに、空母に改造する前に取り外した15インチ連装砲塔は、第二次大戦期に、イギリスが、アメリカのマサチューセッツ級や日本の大和級に対抗して建造したヴァンガードの主砲として再利用されることになるので……なんか物持ちがいいな。まあ、「役に立たない」といえば、ヴァンガードは第二次大戦終結後に完成しているので、やっぱりあんまり役に立たなかったけれど。
 ほかにも、イギリスは、第一次大戦期に、防禦力は弱く、主砲の数も少ないけれど、優速な巡洋戦艦を造ったりしています。うち一隻はビスマルクと対戦して弾火薬庫に敵弾を撃ちこまれて轟沈したフッド、一隻はマレー沖海戦で日本軍の攻撃で沈められたレパルスです。「巡洋戦艦は防禦力脆弱で……」と言われるけれど、どうなんだろう? この第一次大戦巡洋戦艦は「画期的な新兵器」なのか「失敗したへんな兵器」なのか? フッドはたしかに防禦力脆弱でしたが、レパルスは爆弾・魚雷を合わせてふた桁の被害を受けているので、それほど脆弱とも言えないと思います。もう一隻のレナウンは、日本の比叡と同じように、わりと徹底した近代化改装をやって成功したと言われているし。ともかく、クイーン・エリザベス級の高速戦艦ができて、巡洋戦艦の建造を止めていた後に、巡洋戦艦の建造を再開したのは「成功」だったのかどうか。フッドが轟沈せず、レパルスも沈まず、それぞれ近代化改装を行い、イギリスが空母機動部隊を活用する戦略を採っていたら、フッド、レパルス、レナウンは「空母に随伴できる優速の主力艦」として評価されていたかも知れません。実際にはキング・ジョージ5世級戦艦がイギリス空母とともに対日作戦に参加してその役割を果たしたわけですが。
 それと、イギリスは、日本の長門級アメリカのメリーランド級(あれってネームシップどれなの?)に対抗してネルソン級を造るわけですが、これがまた16インチ主砲三連装3基9門を艦の前半に集めた独特のデザインで。弾火薬庫の集中防禦などでは効率がよかったのでしょうが、後ろ向きに主砲を撃つと艦橋が猛烈な爆風に襲われるというのでは、ちょっとなぁ。しかも、イギリスはそれまで巡洋戦艦高速戦艦を造っていたのに、ネルソン級はなぜか低速戦艦だし(コストの問題?)。
 そんなわけで、イギリスは「へんな兵器」をよく造る国で、その「へんな兵器」からときどき「画期的な新兵器」が登場していた、と見たほうがいいのかな、と思います。
 で、2月26日のイベントで売っていた岡部いさくさん(「岡部ださく」名義。番外編「蛇の目の花園」は岡部いさく名義)の『世界の駄っ作機』(大日本絵画、第一巻は isbn:9784499226899、以下続刊)を買ってきたら、イギリスはやっぱり航空機でも「へんな兵器」をいっぱい造って失敗している(→「駄っ作機」ができる)ようで。航空機のばあいは、民間会社間の競争という要素が大きいので、戦艦のばあいとは違うかも知れませんが、それにしても、「駄っ作」の山を造ってはじめて傑作が生まれるという点は共通していると思います。
 ただ、日本のばあい、やはり国力がイギリスやアメリカに劣るので「へんなものでも駄作でもいいからともかく試してみよう」というのがなかなかできなかったということはありますね。それでも、赤城や加賀の「三段飛行甲板空母」のような「へんなもの」は造っていますし、結果的にはトップヘヴィーで失敗した駆逐艦初春型なども「一点突破」で限界に挑戦している。このトップヘヴィー化は、友鶴事件などで犠牲者を出しているのでけっして「いいこと」ではなかったけれども、ここで限界に挑んだことは後にいろんなかたちで生きているのでしょう。
 『押井学会報』には、こういう話に続けて、「ブレーンストーミングのコンセプトってそういうことでしょ?」と書きました。ブレーンストーミングというのは、突飛な意見でも着実な意見でも、ともかく否定的なことを言わないで案をたくさん出すところから、最もよい方向を探っていくという方法で、「駄っ作」な意見が十とか二十とか出ないと、「傑作」な意見の一つは出てこないよ、ということだと思います。