猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

松本良男・幾瀬勝彬『秘めたる空戦』光人社NF文庫(isbn:4769821360)

 陸軍の三式戦「飛燕」の搭乗員だった松本良男の手記を、作家の幾瀬勝彬が整理してまとめた戦記である。
 この本を読んで印象的だったのは戦闘時の心理状態の記述だ。戦闘中にこそ論理的に考えて判断することが求められるし、実際にすぐれた戦闘員は、隊形や相手戦闘機の性能などを考え合わせて次の行動を決める。判断を誤ったり、少しでも判断が遅れたりしたら、それは死に直結するミスになりかねない。もちろん「反射」的な動きは必要なのだろうけれど、それだけでは足りないのだ。「反射」で身体が動くのと同じぐらいの短い時間で、考え、判断し、そして身体を動かしていないと空戦には勝てない。第二次大戦期の空中戦はそれほどのシビアなものだったことがとくにこの本ではよく伝わってくる。
 しかも、この松本さんの属していた隊の小沢隊長は、自分がシビアな空戦を戦いながら、部下の戦闘をぜんぶ見ていて、適切なところで助言を入れている。一瞬で隊形や敵機の特徴や敵味方の動きの情報をつかみ、論理的に考えて、自分も身体を動かしながら部下に指示を出すというのは、だれにでもできることではないだろう。かりにそれができる人がいたとしても一朝一夕にその境地に達することはできない。かつての日本帝国陸海軍の戦力はそういう高い個人的資質で支えられていたのだろう。
 この隊長は部下の人心掌握も巧かったようで、著者の松本さんをいちばんかわいがっていながら、他の搭乗員がいる前では著者にいちばん厳しく接している。これはそのいちばん愛された部下の手記だから、他の搭乗員から見ればもしかすると別の見かたもあったのかも知れないが、この手記を読むかぎりでは、やっぱりこういうリーダーの下で働きたいなという気はする。もっともこちらに相応の実力がないとだめだろうけど。
 また、空中戦の技術的な面のシビアさもこの本から伝わってくる。
 私は旧海軍の艦艇のほうのファンだから、撃ち合うのは千メートルとか一万メートルとかの単位で、舵を切ってから舵が利き始めるまですごく時間がかかるのがあたりまえだと思っている。何度か撃って挟叉するまで絞って命中させるのが本道だと思ってるから、レーダー射撃も「邪道」だとか思ってるし……。艦艇どうしで間合い百メートルの撃ち合いというのは、魚雷艇とかでなければまずない。また、これは私の偏見かも知れないけれど、艦艇そのものも含めて兵器というのはスペック通りの性能をいつも発揮できるとは限らないという思いこみもある。たとえば、駆逐艦の最高速力が35ノットになっていても、実際に35ノットで戦闘する機会がそんなにあるわけでもないし、最高速を出したら燃料を食うので燃料のことを考えると最高速を出す機会はさらに限られるし(航空機でもその点は同じだけど)、何より機関の不調とかでスペック通りの最高速力が出なかったりもする。戦艦主砲の砲撃間隔はどんなにがんばっても一分2発が限界で、発射速度の速かった日本帝国海軍の長10センチ(サンチ)高角砲でも一分19発だから2秒に一発だ。
 けれども、空中戦では、撃つのは30メートルとかの間合いで、100メートル開いたら機関銃弾・機関砲弾(陸軍では零戦の「20ミリ機銃」が「20ミリ機関砲」になってしまう。でも陸軍好きなひとは逆の違和感を持つんだろうな)が重力で落っこちてしまうので命中しないという。しかも、機関砲の発射間隔が短くても、敵機との位置関係を考えると命中させられるのは1〜2発だ。ほんとうに、一瞬の的確な判断ができて、その判断に従って正確に身体が動かないと、空中戦では生き残ることができないのだ。スペック通りの速度が出るかどうかが生死を分けることもあり、しかも、600キロ台で時速にして30キロとかの速度の違いが空戦の優劣を決定する。
 最後のほうに出てくる特攻機の話は涙を誘うのを超えて恐ろしい。未熟な搭乗員が特攻機に乗って飛び立つ。それで敵艦や敵輸送船に体当たり攻撃を成功させ、散華することができるか? 最後のクライマックスなので具体的な展開は書かないけど、戦場では「未熟だけど熱意に燃えているから何とかなる」というような感情論が通用しないということがこのエピソードからよくわかる。
 著者(松本さん)は、最初のニューギニア戦線のエピソードで、上層部の作戦計画のずさんさ・無理さを指摘し、不信感をあらわにしている。もちろん戦後だから書けた内容だろう。けれども、この本を読んで、戦争の指導というのの難しさを強く感じた。
 戦争を上層で指揮している指導部の人たちは、空戦の現場が、適性のある人が訓練を重ねて獲得した資質で支えられていることを十分に認識していない。いや、してはいるのかも知れないけれど、そういう搭乗員を養成するのがどれだけたいへんなことか、搭乗員を失うことがどれほどの損失を生み出すかが実際にはよく理解できない。たいへんだと思っていても「何とかなる」と思っているのだろう。そして、現場の搭乗員や整備員が懸命にがんばって成果を出したら、それがあたりまえのものとなって次の計画が立てられていく。現場はそれに文句を言うことはできない。そして、最後には、空戦はもちろん、飛ぶ技術すら十分でない若者たちを特攻機に乗せて、戦果のほとんど期待できないような死に追いやることになってしまう。
 そういう組織を作らないようにしないといけないと思う。まあこれ以上は言わないけど……。
 ただ、たしかに当時の帝国陸海軍固有の問題も大きかったのだろうけど、組織というのは、やっぱりそういう欠点を抱えてしまうものだと思う。とくに、現場が「飛燕」のような最新鋭の武器を使い、それを搭乗員の高い技術と能力で使いこなしているという状態では、上層部の指揮は難しいだろうと思う。上層部が知っている現場は、その時期の最先端の状態ではなく、よくて少し前の現場、悪くするとその上層部の人たちが最前線に立っていた時期の現場だからだ。