猫も歩けば...

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岡野友彦『源氏と日本国王』のつづき

 もうだいぶ前になってしまった7月5日の日記のつづき(id:r_kiyose:20050705)。
 この本の書きかたの特徴は、ともかく「氏」と「家」を厳格に区別しているところだろう。いまでは「氏」も「家」も同じようなものになってしまった。明治国家が「家」制度を民法上の制度としてかっちり定めたことで、その区別がかえって消滅してしまったのだ。
 私たちは「藤原氏」、「源氏」、「北条氏」、「足利氏」、「織田氏」、「豊臣氏」、「徳川氏」などと並べる。けれども、厳密に区別すれば、「藤原」・「源」・「豊臣」が「氏」の名まえで、「北条」・「足利」・「徳川」は家の名まえだ。で、「苗字」というのは、この北条とか足利とか徳川とかの「家」の名まえのことで、「氏」の名まえは本来は「苗字」ではない。氏の名まえは「姓」で、その「姓」でいうと、北条氏は平氏(たぶん)、足利氏は源氏、徳川は途中で変わっているけど源氏である。逆に、豊臣秀吉は、最後まで「苗字」でいうと「羽柴秀吉」だった。これはこの本ではじめて知ったことだ。
 だから、豊臣政権が続いていたら、藤原氏の下に二条とか西園寺とかいろんな家が分立したのと同じように、豊臣氏の下に羽柴以外にもいろんな家が分立し、そのなかで摂政・関白とか大臣の地位とかをたらい回ししたのだろう。というか、秀吉はそういう将来を思い描いていたのだろうと思う。
 では、どこが違うかというと、まず「氏」の下にいろんな「家」がある。また、「家」の名まえは自然発生的に生まれてくる。住んでいた場所とか、その人の「家」が果たすことになっていた役職とか。これに対して、「氏」の名まえは天皇から与えられ、父子相伝で男系の直系に伝えられていく名まえである。だから「氏」は勝手に作ってはいけない。女系相続もできない。天皇は「氏」の名を与える側なので、天皇の「氏」には氏の名まえ(「姓」)がない。この本では、この天皇の「氏」に「天皇家」・「王家」という呼び名を与えるのは、「氏」と「家」を混同することになるので不適切だとして、「王氏」と呼んでいる。
 で、その「王氏」の出身でありながら、臣下の身分に降り、「王氏」とそれ以外の「氏」の中間にあった存在としての「源氏」に注目するというのが、この本のスタンスだ……と言っていいんだろうなぁ。
 私自身は、「イスラム」はダメで「イスラーム」だとか、「コーラン」と呼んではダメで「クルアーン」と呼ばなければならないとかいうような、専門家用語の厳密さを専門家以外に要求することにはあまり賛成ではない。だから、べつに「北条氏」とか「足利氏」と呼んだってかまわないと思っているけれど、厳密に区別しなければならないところでは区別しなければならないんだろうなと認識を新たにした。