猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

吉田俊雄『戦艦比叡』光人社NF文庫、isbn:4769823452

 高速戦艦比叡の誕生から沈没までを描いた戦記、というか軍艦の評伝である。
 比叡が属する金剛型は、ワシントン・ロンドン軍縮条約下で日本が保有していたいちばん古い型の戦艦だ(各艦のあいだに微妙な違いはある)。しかも戦艦群のなかでは太平洋戦争で最も活躍した。言いかたを変えればいちばん酷使された。30ノット出せたので、機動部隊に随伴できるという点が決定的だった。アメリカ合衆国海軍が「大和型に対抗する」という位置づけの40センチ(16インチ)砲搭載戦艦アイオワ型の最高速力を33ノットに設定したのは、大和ではなく、金剛型を意識したからだという話も読んだことがある(違ったかな?)。
 そのなかでも、比叡の生涯は、前時代の装甲巡洋艦の系譜を引く巡洋戦艦として誕生し、ロンドン条約で装甲を外して戦艦として戦力にならない練習戦艦になり、その後、高速戦艦として復活し、日本戦艦のなかで最初に沈没する艦になるという波乱に満ちたものだった。この本では、比叡の参加した海戦のうち、真珠湾攻撃、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦と、比叡の最後の海戦になった第三次ソロモン海戦(第一夜)が採り上げられている。戦艦が主役の本とは言っても、海戦が航空戦中心に様変わりしたこと、比叡が航空機動部隊とともに行動していることなどから、航空戦についての記述も多い。
 いちばん多く紙幅が割かれているのは、比叡の生命を奪った第三次ソロモン海戦だ。この海戦の記述を見ていると、第三次ソロモン海戦が、日米とも食い違いの連続で戦われたことがわかる。
 まず、第三次ソロモン海戦は、戦艦主砲による遠方の陸上目標砲撃という目的で戦われた。これは、この海戦の一か月前の10月13日、同型艦(細かい違いはあるが)の金剛と榛名が行ったガダルカナル島飛行場砲撃の成功をもういちど実現しようとして始まった。金剛・榛名による飛行場砲撃の話は前から知っていたけれど、この本を読むと、それが直接に見ることのできない場所への、測量が頼りの遠距離砲撃だったことがわかる。測量をまちがっていればジャングルに大量の砲弾を注ぎこむだけに終わる可能性もあった。ちなみに、このとき、作戦を成功させた第三戦隊司令官栗田健男中将と旗艦金剛艦長小柳冨次大佐のコンビが、のちにレイテ湾海戦でレイテ湾突入を目指す第一遊撃部隊の指揮をとる。
 この戦法はまだ確立したものではなかった。狭い水路で、しかも砲撃を成功させるためには一直線に航行しなければならず、しかも主砲に装填しているのは、艦艇に対する打撃力のない焼夷弾(三式弾。焼夷弾を混ぜた榴散弾)・榴散弾や瞬発弾が主だ。敵艦が出てきたら、作戦目的を完遂できないだけではなく、戦艦が一方的にやられっぱなしになる可能性がある危険な作戦だった。この金剛・榛名の飛行場攻撃は、敵(アメリカ海軍)がこの戦法を知らなかったから、また、前日のサボ島沖海戦のあとで敵が一時的に後退していたから成功させることができた。二度めは作戦の意図を察知されるから、失敗する確率はなお高い。なのに、山本五十六連合(聯合)艦隊司令長官は同じ作戦を繰り返した。その理由がこれまで私にはよくわからなかったのだが、この本を読むと、山本長官が「前も成功したから今度も……」という安易な判断を持っていたからではなく、陸軍からの要請を断り切れなかったからだという。つまり、海軍の都合で陸軍にガダルカナルまで出てきてもらって、その陸軍が苦戦しているというのに、陸軍の要請を海軍が断るわけにいかなかったというのである。
 ガダルカナル島飛行場砲撃に向かった比叡は、戦艦を中心に護衛艦艇を半円形に編成していた。ところが、その護衛担当の第四水雷戦隊は、海上で比叡部隊と合同したので、打ち合わせなどはぜんぜんできていなかった。その状態で、比叡部隊はガダルカナル島の近くでスコールに遭遇し、視界のきかないなかで反転を繰り返している。そのため、比叡と僚艦の霧島を中心とする飛行場砲撃部隊の陣形は乱れ、比叡が先頭に近いところを走行することになってしまった。
 その結果、巡洋艦を中心とするアメリカ軍部隊と何の前触れもなく接触してしまい、乱戦を展開することになる。比叡は乱戦のなかで舵をやられ、浸水で人力操舵も不可能になった。装甲が着いていれば、戦艦のばあい、たてまえ的には自艦の主砲で射撃されてもだいじょうぶなようにできていた。ところが、艦尾の舵取り(舵柄)室附近は装甲がついていなかったので、巡洋艦の砲撃で浸水してしまったのである。その状態で空襲を受け、魚雷が命中したので、司令部・連合艦隊ともに比叡の自沈をやむなしとした――とこれまで思っていたのだが、ここにも食い違いがあったらしい。艦長をはじめ、司令部など上層部は、航空魚雷の命中で機械がやられたと信じていたのだが、じつは魚雷は不発、機械は完全に無事で、速力だけは全速力を発揮できる状態だったのである。ただ情報が艦長のところまで伝わらなかった。艦上は敵の巡洋艦駆逐艦の砲撃でめちゃくちゃになっており、艦長は第三砲塔の上で防空戦の指揮をとっていたので、艦内連絡がきちんと届かなかったのである。もっとも、艦船は、いくら機械が全力で回っても舵が動かなければ動けないから、艦長や司令部が機械が無事であることを知っていてもすぐに戦場を離脱できたわけではない。だが、自沈の判断が、機械が破壊されたという誤った情報(または思いこみ)の下でなされたのは事実のようで、早まった判断だったのは否めないようだ。
 この海戦でも、情報のやりとりの不十分さが日本軍の命取りになっている。あと、陸軍と海軍の作戦を統一的に指揮する機能が欠けていて、そのため、失敗の可能性が高い作戦をあえて実行し、その作戦に「使える戦艦」金剛級4隻のうち2隻を投入しなければならなかった。この二つの点は、その後の日本海軍の戦争遂行の足を大きく引っぱりつづけることになる。
 ただ、この海戦で見るかぎり、情報のやりとりの不十分さはアメリカ軍でも同じで、アメリカ軍も情報のやりとりが十分であれば回避できたはずの失敗をいくつも重ねている。何より、アメリカ軍は日本艦隊を先にレーダーで発見していながら、日本艦隊と衝突する直前まで戦闘に入れなかったのだ。また、戦艦2隻を含む艦隊に、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦1隻で立ち向かうという無茶な作戦をしているという点でも、日本が一方的に拙劣な戦いをしたわけではない。しかし、同程度の誤判断をしていれば、戦略的にはやっぱり攻撃側が不利になる。その結果が比叡の早まった自沈に帰結したということだろう。
 この本の叙述の特徴は、思い入れを排除して客観的な評価に努めているということだろう。この本は全体として山本司令長官を高く評価しているけれども、手放しで絶賛しているわけではない。また、あまりパッとしない司令官についても、一方的に悪く書くことはしていない。しかも、当時の考えかたとかメンタリティーとかについてもていねいに言及していて、戦争のどういう状況の下でどういう人がどういう判断をしたかがわかるように書かれている。これは戦争を考えるために重要なことだと思う。その点でこの本は質の高い戦記だと思う。