猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

井上昌巳『一式陸攻雷撃記』(光人社NF文庫、isbn:476982212x)

 昭和18年(1943年)7月、新たに編成された第一航空艦隊の航空部隊の一つとして編成された「七六一空」の奮戦の記録である。この「航空艦隊」は、「艦隊」とは名ばかりで、太平洋各地の島の基地航空隊の連合部隊だ。
 私がこの本を買ったのは一式陸攻(一式陸上攻撃機)という飛行機に興味があったからである。太平洋戦争(対米英戦争)緒戦のマレー沖海戦で、イギリス東洋艦隊が誇る新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズ巡洋戦艦レパルスを撃沈したのがこの一式陸攻だった。空母には搭載されなかったので、ハワイ海戦や珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦などでは活躍していない。しかしやはり開戦初期の主力機として気になる存在だった。
 だから、この本の物語が昭和18(1943)年から始まっているのがまず意外だった。この時期には、零戦や隼でさえ、アメリカの新鋭戦闘機の前に苦戦するようになっていた時期である。一式陸攻の最高速力は229ノットというから時速424キロだ。これでは米軍戦闘機に捕捉されたらまず逃げられないだろう。しかも、この本で紹介されているように、一式陸攻は防禦が弱体で、当たり所が悪ければ一発の銃弾で火を噴いた。その時期に日本海軍はまだ一式陸攻を第一線で使っていたのだ。ちなみに訓練用にはさらに前世代の九六式陸攻を使っていたようだ。
 この本の前半は、著者と七六一空の面々がその一式陸攻を駆って爆撃に雷撃に活躍する話である。著者は、敵空母部隊と遭遇し、敵機に追跡されながら危機一髪で帰還を果たしたり、判断を迷って体力と精神力の限界まで来てようやく着陸に成功したりする。その戦いの中で航空隊の仲間が次々に未帰還になっていく。
 一式陸攻の内部が私が思っていたより広く、内部で移動もできたということは、この本ではじめて知った。この本を読むまで、私は、一式陸攻も、艦上攻撃機と同じように、操縦・攻撃・偵察(ちがったかな?)の3人しか乗っていないと思っていたが、実際には、それに電信員と搭乗整備員の5人が乗っていた。双発の陸上機だけのことはある。
 さて、この本の後半は、七六一空が搭乗すべき航空機を失い、テニアン島に孤立してからのエピソードである。
 この島で著者は米軍の上陸作戦に遭遇する。それは、まず艦砲で徹底して砲撃し、防禦施設はもちろん、町も村も畑も破壊し尽くすという、物量に物をいわせた凄まじいものだった。41日間もそうやって破壊を尽くしたあげく、日本軍が組織的に抵抗できなくなってからようやく上陸してくるのだ。味方の兵士の命を少しでも安全にするために、武器弾薬はほんとうに惜しみなく注ぎこむのである。島にいるのは軍人ばかりではない。日本統治以前から住んでいる現地の住民も、日本(朝鮮半島も含む)から移住してきた民間人もたくさんいる。これがアメリカ流「人命尊重」なんだろう。味方の安全が敵側の民間人の人命や生活よりも優先され、味方の安全のためには物資の浪費も環境破壊もお構いなしなのだ。こういう「安全」意識は現在のアフガニスタンイラクまで一貫している。ついでにいうと、前日まで激しく戦っていても、投降した者には基本的に人間としての信頼を抱くというのも変わっていないかも知れない。よく言えばヒューマニズムなのだろうが、苛酷な体験をした相手の心情がまったくわかっていないとも言える。だから、一般住民に大被害を与えてその生活を破滅させても、戦争が終われば「私たちが戦っていたのは悪い支配者であって、私たちはあなたたちの味方ですよ」と平気で言えるのだろうか。これもアフガニスタンでもイラクでも変わっていない。
 しかも、このような絶望的な状況に置かれた著者たちは、連合艦隊が反撃に来るからそれまでのしんぼうだとずっと信じていたという。マリアナ沖海戦の決定的敗北は知らされていなかったのである。この決定的敗北を知っていれば、サイパンテニアンの日本軍人や民間人はもっと実際的な行動をとり、被害を少なく押さえられた――という保証はない。捕虜になるのが恥だと教えられていた日本軍部隊が自発的に投降した可能性は小さいし、脱出作戦を展開していても、現地の部隊だけでは大きな犠牲を出して失敗しただろうから。けれども、ともかく、戦争指導部が最前線の人びとに誤った希望を抱きつづけさせてしまったことは確かだ。
 著者が捕虜になってからの記録も興味深い。戦争捕虜は収容施設内では自治が許され、場所によってはアメリカの民間人との交流もあったという。そのなかで、日本軍内の秩序が崩れたり、また軍の上下関係が復活したりする。そのたびに捕虜たちはそれに振り回される。そういう日本人の「社会の作りかた」を考えさせられるところもあった。日本人の「社会の作りかた」というテーマは、そのまま『立喰師列伝』につながっていくところかも知れないが……その話はまたこんどにしよう。
 戦争で極限まで懸命に戦った。そのことは評価し、民族の誇りとしてほしい。そして、だからこそ、戦争下で生き、死んでいった日本国民とアジア・太平洋諸国民の苦痛に思いを致さなければならないし、日本は平和国家であってほしいし、世界平和のために努力しなければならない。それが「あとがき」で述べられている著者の「戦争と平和」観であり、著者の戦争に対する本来の意味での「反省」である。
 戦争が終わって、「戦争と平和」を論ずる人たち(まぁ私も含めてだが、というか、そうありたいが……)は、こういう「反省」にどれだけ応えてきただろうか――というようなことを私はこのあとがきを読んで感じた。
 一式陸攻の詳しいスペックとか、海軍の陸上攻撃機発達史上の一式陸攻の位置づけとか、艦攻と陸攻の違いとか、そういうことはあまり書いていない本だったけれど、いい本にめぐり会ったと思う。