猫も歩けば...

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大内建二『護衛空母入門』光人社NF文庫(isbn:4769824513)のさらにつづき

 日本のばあい、隼鷹・飛鷹以外の「鷹」型空母(大鷹、雲鷹、海鷹、冲鷹、神鷹)は、まず海陸軍の航空機輸送に活躍したようだ。でも、この本を読んでみると、大鷹、雲鷹、神鷹は船団護衛中に沈んでいるし、海鷹も船団護衛には活躍しているので(冲鷹は航空機輸送任務中に撃沈された)、「日本は艦隊決戦主義に偏重して護衛空母の使いかたを誤った」とまで言ってしまうと言い過ぎなのかも知れない。それに、護衛空母を随伴しての対潜警戒は、昼間に関するかぎりは効果があったようだ。でも、夜間は、レーダーを装備したアメリカ艦が圧倒的に有利だった。
 ただ、やっぱり、護衛船団を組んでそれを護衛空母で護衛するばあい、それだけ数は必要だ。
 この本で紹介されているイギリスのばあい、北アメリカ‐大ブリテン島航路のうち、輸送船が集中せざるを得ないアイルランド西海岸あたりからを重点的に護衛空母で警戒したということだ。でも、日米戦での日本のばあい、日本の周辺でどこか重点的に守れば被害はそこそこ軽減できるというポイントが絞れるわけではない。しかも、太平洋戦争後期になると、インドネシア・フィリピン・台湾や東シナ海などあらゆるところにアメリカ潜水艦がいたわけで、ポイントを絞って船団を守るのでは不十分で、「面」的に護衛空母を活用しなければならなかった。それには最大5隻では少なすぎたということだろう。
 しかも太平洋戦争後期になると航空機の数自体が限られてきて、もしアメリカ並みに100隻とかの護衛空母を持っていても、積む哨戒機とか戦闘機とかがないのでは役に立たない。1944年秋の台湾沖航空戦以後、正規空母ですら積む航空機が不足していた状況では、護衛空母用航空機が十分に確保できるわけもなかった。しかも、護衛空母のばあい、翔鶴型とか大鳳とかの正規空母より飛行甲板は狭かったわけだから、より高度の着艦技術が要求される。
 条件によるけれど、護衛空母が最後まで余っていたばあい、「海上特攻基地」みたいに使われてしまった可能性もある。実際、生き残った海鷹は、特攻を含む航空攻撃の訓練用標的艦として使われたみたいだし。
 まあ、護衛空母を大量に造って船団護衛という発想は、全般的な工業力が低かった上に、カタパルトとレーダーの技術で劣っていた日本の帝国海軍では無理があったのかも知れない。
 「鷹」型空母ほどの完成度はなくていいから、ともかく短い工期でせめて現実の2倍でも3倍でもたくさんの護衛空母を造ることができたかというと、これもわからない。商船なら何でも護衛空母にできたというわけではないし、商船は輸送船にも使うし潜水母艦とか水上機母艦とかにも転用できるわけだから、片端から空母に改造してしまえたわけでもない。
 あと、普通の商船に哨戒用の航空機を載せたCAMシップとかMACシップとかも考えられる。艦上機を載せるのは、日本のばあい、カタパルトがなかったので無理だけど、輸送船にカタパルトをつけて零式水偵や零式水観なんかを搭載しておけば、少なくとも昼間の警戒はできたのではないかという気もする……が、やっぱり零式水偵・水観がそんなに機数なかったか。重巡・戦艦搭載用だから、そんなに数はないよね。