猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

大内建二『護衛空母入門』光人社NF文庫(isbn:4769824513)のつづき

 日本の商船改造空母は、あくまでいちおう艦隊行動に随伴することを目的に造られたので、最初はこの本が隼鷹・飛鷹を除く「鷹」型空母を「護衛空母」に分類していることには違和感があった。でも、この本によると、1943(昭和18)年11月に海上護衛総司令部が設立されたときに、隼鷹・飛鷹以外の商船改造空母がここに配属されたということだから、日本の「鷹」型空母を「護衛空母」と呼ぶのも理はあることになる。さらに「陸軍の空母」(あきつ丸、熊野丸)は、航空機輸送と船団護衛を目的にしているのだから、「護衛空母」と呼んでいいだろう。
 ただ、やっぱり最初から「護衛用」と割り切って造ったのではなく、二流艦隊空母のつもりで造っているので、アメリカの護衛空母のように短期間で改造ができたわけではなく、かなりの工程数を必要としたようだ。とくにドイツ商船シャルンホルスト(もちろん同名の戦艦とは別のフネ)から改造した「神鷹」は、ワグナー罐が故障多発で使えなかったため、罐の入れ替えまでやっているしね。
 日本と米英で護衛空母の運用を大きく分けたのがカタパルトの開発だったそうで、カタパルトを持っている米英の護衛空母は、戦闘機はもちろん、攻撃機まで搭載している。ところが、日本の護衛空母はカタパルトがなかったので、九七艦攻でも飛行甲板ぜんぶを使ってぎりぎり発進できた程度で、後に開発された艦爆「彗星」とか艦攻「天山」とかは使えなかった。
 戦艦、巡洋艦、潜水艦まで水偵を搭載していた日本が空母用カタパルトを開発できなかった理由はこれまで私にとっては謎だった。いまもよくわかっていないのだけど、ともかく、日本の帝国海軍が戦艦とかに積んでいた火薬カタパルトでは性能不十分、名軽巡大淀や伊400潜型に積んでいた圧搾空気式カタパルトでも出力不足で、しかも空気の充填に時間がかかるので連続発進に不向きということらしい。あと、航空機がカタパルト対応になってなかった? 彗星を伊勢・日向に搭載するときに、カタパルト射出に耐えられるように機体に手を加えたという話も読んだことあるし。
 ともかく、カタパルトをつけて攻撃機まで搭載した米軍の護衛空母は、もちろんエセックス級と較べれば弱くても、十分に戦力があった。栗田艦隊について、護衛空母群などかんたんに蹴散らしてレイテ湾に突入できたはずみたいな議論を読むことがある。でも、護衛空母艦隊の必死のねばりで、重巡洋艦鳥海、筑摩、鈴谷は沈没、熊野は大破して脱落し、のち回航中に撃沈されている。この一連の海戦で重巡愛宕・高雄級と最上・鈴谷級が全滅した。とくに愛宕・高雄級は歴戦の重巡として数々の海戦に参加して海戦開始まで全艦健在だったのに。
 貧弱な護衛空母の搭載機と、駆逐艦護衛駆逐艦(日本の海防艦駆逐艦の中間みたいなものと考えればいいのかな?)だけの護衛艦艇群で、ずいぶん善戦しているのだ。護衛空母艦隊は、戦艦・重巡洋艦の射程に捉えられるという非常事態の大ピンチの下でも、かなり優位に戦闘を進めることができていた。
 ところで、栗田艦隊に撃たれて撃沈されたガンビア・ベイは、1944年4月にF4U-1コルセアの艦上戦闘機ヴァージョンができたとき、その実用化テストを行った艦なんだね(鈴木五郎グラマン戦闘機』247ページ)。