猫も歩けば...

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丸暗記と文法教育はムダか?

 私は丸暗記と文法が苦手だった。英単語の暗記がいやで、高校の途中から単語を覚えるのはやめて、わからない単語が出てきたら片端から辞書を引くようにした。当時は、何度も辞書を引いたので、かえってそれだけ英語が身についたとうぬぼれていた。英文法も苦手で、やはり受験が終わるとすっかり忘れてしまったらしい。その結果、現在の私は英語がすごく苦手だ。さらにすっきり忘れてしまっているのが、国語の時間に教えてもらった日本語の文法である。文法なんて忘れていたって日本語の文章は書ける。
 ところが、この間、たまたま通りかかった人が、いっしょにいた人に「文法教育なんて意味ないよ」と話しているのを耳にして、私は違和感を感じた。
 理由はかんたんだ。私がラテン語を勉強していたからだ。
 ラテン語は丸暗記と文法なしに身につけることができない。できないことはないだろうけど、たぶんものすごく効率が悪い。やはり、ラテン語を体得するには、名詞第一変化(-a,-ae)、名詞第二変化男性(-us,-i)、名詞第二変化中性(-um,-i)、形容詞第一・第二変化(-us,-a,-um)、……動詞(現在、能動……)第一変化、第二変化……と覚えていくのがいちばんよさそうだ。それを覚えずにいきなり変化表と辞書だけで文章を読んでも書いても、1〜2行を読み解くのにおそらく1時間とかの時間がかかって、そこで挫折してしまうと思う。というより、初歩的な文法がわかっていないかぎり、変化表すら読めない。
 ラテン語には名詞に「格」が5つ(〜が、〜の、〜に、〜を、〜から。主格=「〜が」と呼格=「〜よ!」を分けると6つ)あり、その語尾が違う。しかも単数と複数では語尾が違う。つまり一つの名詞で5つの格の単数と5つの格の複数で10の変化形を覚えなければならない。共通する語尾もあるけれど、どの「格」とどの「格」の語尾が同じという規則があるわけではない(まったくないわけではないけど)。慣れてくると、単数主格と単数属格(=所有格)と文法的性別だけ覚えておけばOKなのだそうだが、最初のうちはやっぱりぜんぶの変化形を唱えてみないとなんとなく不安だ。
 これが英語だと主格、所有格、目的格の3つしかない。しかも代名詞以外は主格と目的格が同じで、所有格に「's」がつくだけだし、生物以外はその所有格もほとんど使わない。複数も語尾に「s」か「es」がつくだけだ。英語では、複数が別の形になったり、単複同形だったりする例外をのぞけば、単数主格だけを覚えておけばいい。
 動詞も、英語では、現在形に関する限り、三人称・単数に「s」がつくだけだ。ところが、ラテン語では、現在形でも、一人称・単数、二人称・単数、三人称・単数、一人称・複数、二人称・複数、三人称・複数でぜんぶ形が違う。6つ覚えなければいけない。しかも、その変化パターンが5種類ある。これは、基本は同パターンで、変化する部分の直前の母音・子音の違いで区別するらしいのだが、初心者にはまずその区別がつかないから、ともかく一度は6つの変化形を唱えてみなければならない。
 ところが、一つの単語を、名詞ならば、変化する語尾の部分を除いて10回、動詞ならば同じく語尾を除いて6回は唱えるわけで、それを何回か繰り返すと、ひとりでにある程度は身についてしまう。英語で「love、愛する」を「love、愛する、love、愛する、love、愛する……」と覚えるのよりも、ラテン語で「amo,amas,amat,amamus,amatis,amant,愛する」を覚えるほうが、退屈せずに身につくように思う。この一単語だけならば、語尾が変化してわけがわからないだろうけど、動詞の数が増えてくるとパターンが読めるようになる(-o,-s,-t,-mus,-tis,-ntとか)ので、適度に頭を働かせつつ、覚えなければいけない部分(「愛する」だとam-またはama-の部分)を繰り返すことになる。パターンを思い出しつつ、単語固有の部分は単純に繰り返す。このほうが暗記効果が上がるように感じるんだけど、それって「英語嫌い原理主義者」の思いこみなんだろうか?
 その丸暗記をやってから文を拾い読みすると、単語を知らないから文意はわからないながら、-ibusとあれば複数の与格(〜に)か奪格(〜から)、-orumとあれば男性か中性の複数の属格とわかって、「おーおーほんとに使われてるよこんなへんな語尾」と嬉しくなったりする。
 で、気がついたのは、単純な文について言うかぎり、ラテン語のほうが英語より理解しやすいのではないかということだ。ともかくラテン語には「〜に」や「〜から」を意味する語尾がある。主格と目的格(対格)の区別もつく(つかない単語もあるけど)。そういう変化のない英語では、語順とかかかり方の関係とかを分析しないと、その単語が主語なのか目的語なのかはっきりしなかったりする。じつはラテン語でも文が複雑になるとそのへんがわけわからなくなるらしいから、英語の複雑な文とラテン語の単純な文を比較するのは公平ではないのだけど、語尾がはっきりしているだけ文のなかの名詞の役割が把握がしやすいということはあるんじゃないだろうか。ラテン語は文法的な暗記がわりと一発で役に立つ言語……なのではないかと思う。
 一方で、英語で暗記を必要とするのに、ラテン語では暗記が必要のないものがある。まず、英語では綴りと発音が一致しないから、単語ごとに綴りと発音の両方を覚えなければいけないけど、ラテン語では綴りと発音は一致する。というより、ほんとのローマ帝国人たちが一致させていたかどうかはしらないけど、現在では教会式でも古典式でも一致させる。また、英語では単語ごとにアクセントが違うので、ともかくアクセントは覚えなければならない。しかしラテン語ではアクセントの位置は規則的に決まるので、その規則さえ知っていればだいじょうぶだ。というより、語尾が変化すればアクセントの位置が変わるので、「単語固有のアクセント」という概念がない。
 そんなことを考えると、文法的な丸暗記はいっぱいしなければいけないけれど、仕組みを理解すれば、その仕組みの理解が文の理解につながりやすいのがラテン語で、文法的な丸暗記は少なくても、単語の暗記がたいへんで、文の仕組みの理解を文の理解につなげるのに一定の「慣れ」を必要とするのが英語だ――と言えるのではないかと思う。
 ともかくはじめての外国語として英語を教えるのがいいのかどうか。それでいいようにも感じるし、あまりよくないことのようにも感じる。少なくとも、単語をたくさん覚えようとするとその段階で挫折者が出るし、挫折はしなくても私のような英語嫌いが生まれるのは避けられないだろう。といって、では単語の数を少なくしましょうとかいうと、こんどは初歩的な文法はわかっていてもぜんぜん使いこなせないという「日本人の英語」の俗説をなぞってしまうことになる。私が英語で外国人と(短時間)話した数少ない経験から言うと、つまずくのは、発音を別にすると、「単語がわからない」というのでついて行けなくなることが圧倒的に多いのだから。
 ところで、日本人は英語を何年も学んでもろくにしゃべれないって、ほんとうなのかな? 少なくとも、英語をしゃべれない人が、読み・書きはすごくよくできるという例が、現在の日本にあるのだろうか? ちなみに私はろくにしゃべれないし、読むのも辞書と首っ引きだし、作文もめちゃくちゃに苦手である。つまり総合的にダメなのだ……って居直ってもしょうがないけど。
 現在は中学校・高校でもネイティブの先生に会話を習っているという。それでもなお日本人は会話ができないとすれば、読み・書き偏重の結果というよりも、総合的にダメなのか、それともじつはできるんだけどできないと思いこんで、もしかするとその思いこみが自己実現を誘発しているからではないのだろうか。