猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

再びヒッタイト語の話

 前回、なぜ「19世紀的進化論」の話になってしまったか――というと、あのときは、東浩紀さんの「ポストモダン」論によく出てくる「近代の大きな物語」のほうに議論を向けたかったんですね。
 で、今回は、その話はいちど中断することにして、ヒッタイト語の話に戻ります。
 エーゲ海岸からチグリス・ユーフラテス上流のあたりは、現在でもさまざまな文化を持ったさまざまな人たちが住んでいて、政治的対立とかも起こっています。で、その「この地域にさまざまな文化を持った人たちがいた」という状況は、どうも、紀元前、少なくともペルシア王国やアレクサンドロスの王国による広い地域の統一がなされるまでは、あんまり違わなかったらしい。
 つまり、同じインド・ヨーロッパ語族系の言語を持った集団でも、東のほうにはインド系に近い言語を持ったミタンニ国があり、エーゲ海岸から東地中海にかけてはギリシア人が住んでいた。そのあいだに、現在のトルコのアンカラあたりから東西に、ヒッタイトや、同じ系統の言語を持つリディアなどの国ぐにがはさまっていた。ミタンニの東には、現在のイラン系につながるペルシア人がいて、そのさらに東にはまたインド系の言語を話す人びとがいたわけですから、現在のインド‐パキスタン‐イラン‐イラク‐トルコ‐ギリシアという線上に、同じインド・ヨーロッパ系言語集団だけで、インド系‐ペルシア系‐ミタンニのインド系‐ヒッタイト系‐ギリシア系という別々の集団がいたわけです。つまり、インド・ヨーロッパ系と言うけれど、ひとまとまりでこの地方にやってきたわけではなく、それ以前にすでに分化していたのですね。
 それに、もちろん現在のアラビア語ヘブライ語に通じるセム系の言語を話す集団もいたし、ヒッタイトやミタンニの支配下には、また別の系統の言語を話す集団もいたらしい。
 まあ、そのおかげで、複数言語や異なる文字で表記された文書資料が残存し、ヒッタイト語のようにはるか以前に消滅した言語の解読が比較の手法や既知の言語の知識を利用することで行えるようになったわけです――具体的にどうやったのか、私にはよくわからないけれど。
 ヒッタイト語で私がおもしろいと思ったのは、楔形文字を「万葉仮名」風に使って表記していたということですね。万葉仮名が、漢字の「音」を基礎にしながら、表意文字としての漢字表現も取り入れつつ、漢語とは言語体系の異なる奈良時代の日本語を表現したように、ヒッタイト語も、楔形文字の「音」を基礎にしながら、ときおり表意文字としての楔形文字の意味も取り込み、しかもその表意文字ヒッタイト語の音を当てて「訓読み」していたらしい。「万葉仮名」の表現方法も普遍性を持っていたのだなと思い当たったところです。
 また、ヒッタイト語の特徴は、古いインド・ヨーロッパ系言語にある「男性/女性/中性」という文法性(「ジェンダー」)のうち、男性と女性の区別がなく、「男女性=生きもの/中性=無生物」という区別になっていることです。なお、現在の一部のインド・ヨーロッパ系(ラテン系?)言語で、「中性」がなく、「男性/女性」の文法性が残っているのは、これは「中性」が主に「男性」に(一部は「女性」に)吸収された結果なのだそうです。
 このヒッタイト語の性別について、インド・ヨーロッパ系言語の古いかたちはこのヒッタイト語のような「生物/無生物」のような区分だったのだが、後で「生物」の分野に「男性/女性」の区別が生じたという説明を読んだことがあります。
 ただ、これは難しいところで、たとえば、ラテン語でも、「第三変化名詞・形容詞」だけに注目すれば、「男性/女性」の区別は存在せず、「男女性=生物/中性=無生物」の二つの文法性しかないと見ることもできるわけです(厳密に言えばラテン語の第三変化でも男性と女性で区別のある単語はないわけではないけれど)。ラテン語で男性形と女性形の違いが際立つのは第一変化(最後の母音がaとなるのが基本で主に女性)と第二変化(最後の母音がuになるのが基本で、「〜が」を意味する主格が -us なら男性、 -um なら中性となることが多い)です。だから、ラテン語で、たとえば第一変化と第二変化が忘れられ、第一変化や第二変化をしていた名詞や形容詞も第三変化をするようになってしまったばあいを仮定すれば、やはり「男女性/中性」という区分しかないことになる。まあ、実際にはそうはならなかったわけですけれど。
 そこで、ヒッタイト語のばあいでも、名詞・形容詞変化が、ラテン語の第三変化に当たるものしか残らなかったので、もともと男性と女性の区別はあったのだ、と考えれば、逆に、「男性/女性/中性」の文法性区分のほうが古く、ヒッタイト語の「生物/無生物」の区分はあとから発生したものということになります。
 インド・ヨーロッパ系の言語は、歴史的に記録が残っている時点で、すでにかなり発展した形態になっている。紀元前10世紀あたりに使われていたことばですでにそうなのです。
 たとえば、どの言語でも、「キ」、「ケ」、「ヒ」などは発音しにくいので、「チ」、「チェ」、「シ」などに、そして「チャ」行の系統はさらに「シャ」行や「サ」行へと変化しやすい傾向があります。日本語ではこの変化はせいぜいまだ起こっている途中でしょう。ところが、たとえば、インド・ヨーロッパ系のなかのインド‐イラン系の言語では、サンスクリットとかペルシアの聖典言語(アヴェスタ語)とかの古い時期に、この変化がすでに起こっているのですね。
 また、サンスクリット語ラテン語、現在も使われているリトアニア語などを見ると、インド・ヨーロッパ系言語には、もともと、主格(〜が)、対格(〜を、目的格)、属格(〜の、所有格)、与格(〜に、〜へ)、奪格(従格とも。〜から)、場所格(位格、於格などという。〜で)、道具格(具格。〜を使って、〜によって)、呼格(呼びかけるときに使う。〜よ!)の8格があったと想定されてきました。ところが、これについても、現在のドイツ語(私はドイツ語は知らないのでよくわからないのだけど)のように、主格、対格(直接目的語になる)、属格、与格(間接目的語になる)の4格しかないのがオリジナルだという説も出ているらしい。
 かなり古い言語資料を持ちながら、その時点ですでにかなり進化・発展した言語だったというのがインド・ヨーロッパ系言語の特徴で、それがさまざまな解釈を生み出すもとなのでしょう。
 ところで、ヒッタイト語では、日本語で「〜に」という表現でまとめられる与格と場所格が一体化しているかわりに、「方向格」という、日本語で「〜へ」という表現に当たる別の格ができているようで、これもおもしろいところです。日本語で「〜へ行く」や「〜へ送る」を「〜に行く」・「〜に送る」に一本化しようとすればできるのに(与格と場所格の一体化というのはそういうことでしょう)、「に」と「へ」がやっぱり分かれて別々のニュアンスや意味を担っているように、「格」の分かれ方・くっつき方などもことばごとに個性があって、おもしろい。たとえば、ことばによっては、「〜から」という意味の「奪格」が、「〜の」という意味の「属格」に吸収されていたりするらしい。与格と場所格の一致は「〜に」と「〜へ」の類比でわかるけれど、「〜から」が「〜の」に吸収されるというのは、日本語の感覚ではわかりにくいものがあります(英語の前置詞で、「(out) of」が「from」に近いという感覚を援用すれば、なんとなくわからないでもないですが)。
 ともかく、インド・ヨーロッパ系言語の「祖語」・「共通基語」は、かなり緻密に復元(「再建」)されているようですが、でも「何が古いかたちか」ということについては、まだ解釈によって結論が変わる余地があるみたいなのですが。
 私のようなしろうとの読みかじり学問では、このあたりが限界です。