猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

長沼毅『生命の星・エウロパ』NHKブックス(isbn:4140019921)

 「エウロパ」というのは「ヨーロッパ」のことだから、ヨーロッパに生命が存在するのは当然のことで……とかいう話ではない。ところで、今度のEU拡大でEUの旗の星の数は増やしたんだっけ? なんか最近はヨーロッパ憲法条約をめぐっていろいろあるみたいで、それはそれで興味はあるけど。
 イオとかエウロパとかいうのは、古代ギリシア神話で、ゼウスにとくに愛された美少年(ガニメデ)・美少女の名まえで、地名では「イオニア」(古代ギリシアの地名。エーゲ海のまんなかからトルコのエーゲ海岸まで。近代でも「イオニア諸島連邦」という独立国が「本国」ギリシア独立に先んじて短期間だけ存在した)とか「ヨーロッパ」とかになり、星ではゼウス→ユピテルローマ神話)→ジュピターである木星の衛星になってしまった。
 でもヨーロッパの人たちはこの衛星のことをどう思ってるんだろうな? 自分たちの星だと思っているのか、関係ないのに同じ名まえでうざったいと思っているのか、それとも関心ないのか?
 そういえば、旧ソ連の「グルジア」は英語にすれば「ジョージア」だしなぁ。だから、ビートルズの Back in the U.S.S.R. に出てくる「ジョージア」は、とうぜん「ジョージア・オン・マイ・マインド」を意識している(この曲の「ジョージア」は人の名まえ?)のだけど、つまりグルジアのことだよね。
 というわけで、前置きがなんか長かったけど、前回につづき、木星の衛星ネタで。
 この本は木星の衛星のエウロパにはおそらく生命が存在するということを論証する本――といえばいいのかな? もちろん「エウロパには失われた第五惑星の文明がいまも息づいていて、UFOはエウロパから飛んでくる」とかいうトンデモ本ではなく、最近の地球惑星科学でわかってきたことをいろいろと援用して議論を組み立てている。
 「といえばいいのかな?」などとためらったふうに書いたのは、むしろ、この本は「エウロパの生命」についての本というより、「エウロパの生命の可能性を語りつつ、生命とは何かを論じた本」というべきじゃないかと迷ったからだ。
 この本の生命観を一つの文で表現するなら、「生命はか弱い存在でもなく、地球(またはよほど地球に似た惑星)にしか存在しないような特殊なものでもなく、宇宙のどこででも発生し生存していける強靱で普遍的なものだ」となるだろう。
 著者がそう言い切る論拠は、地球上のあらゆる環境に生命は存在するからだ。熱水のなかにも、南極の厳寒の環境のなかにも、地下深くの岩盤のなかにさえも生命は存在している。しかも十分な多様性をもって存在している。
 そうである以上、エウロパとか、土星の最大の衛星タイタン(ティタン。この衛星は英語読みが通用している)、海王星の衛星のトリトン、さらには冥王星にだって生命の可能性はあると著者は言う。冥王星にあるのなら、彗星にだってある……かな? ただ、ずっと厳寒のままの冥王星と違って、多くの彗星は太陽に接近して熱せられるから(というより、太陽にいくらかでも近づいてぼやっとした「コマ」*1か「尾」ができれば彗星と分類される……はず)、冥王星生命よりさらに条件はきつくなる。まあ、彗星が太陽に接近したときに、彗星核内部の温度分布がどうなっているかはまだ十分わかってないから、芯に近いほうにいたらそれほど影響を受けないかな?
 「厳しい環境の下でも生命は多様性をもって存在している」というのが著者の主張の眼目だろう。厳しい環境の下では、それに適応した特殊な生命だけが細々と生きているというのとは違う。たとえば、岩盤のなかの生命などは、光合成もできないし、養分も乏しいわけだけど、そんな環境下だからこそ、逆に酸素以外のさまざまな物質を「酸化剤」として利用しつつ生きている。酸素世界の生命が「酸化」の果てに捨てる物質である二酸化炭素を酸化剤として使っている生命もあるという。こういう岩盤内の生命は、形だけ見ればたいていは細菌で違いがあるように見えないのだけど、見かけによらない多様性があるというのだ。
 だから木星の衛星エウロパの環境もその生命の存在する環境としては許容範囲内だというのが著者の考えのようだ。
 それが専門家の目で見て正しいかどうかは私には判断できない。ただ、これまで、宇宙での生命の存在条件とかを議論するときに、最初に「生命=人間や人間のまわりで目につく生命」という思いこみがあったのではないか。脆弱で、特殊な環境にしか住めないという想定はその影響を受けているように思う。それは、たぶん、人間の現在の文明を基準にして、「人間の現在の文明と同じような文明を実現した、またはいつか実現する可能性の大きい生命以外は生命ではない」という「文明」観・「生命」観の表れなのだろうと思う。それは、とりあえずは19世紀ヨーロッパ文明を人類の到達すべき普遍的な唯一の文明と考えたことの名残りで、一種のオリエンタリズムである(これで話が「ヨーロッパ」に戻った)。
 この本はその「宇宙的オリエンタリズム」を考え直すきっかけを与えてくれたと私は思う。

*1:「コマ」とは「髪の毛」のことだが、日本語では「笠」とか言うのが適当な気がする。いずれにしても、尾と同じように彗星本体=彗星核の成分が揮発してできた彗星の大気で、大きな彗星はコマと尾の両方を持っている