岡野友彦『源氏と日本国王』講談社現代新書(isbn:4061496905)
足利将軍・徳川将軍が「日本国王」として中国や朝鮮にその地位を主張できたのは、「将軍」だったからではなく、「源氏長者(兼 征夷大将軍)」だったからだということを論証した本である。
歴史物の本にしてはともかく読みやすい本だった。著者は「あとがき」に「むつかしいことを誰にでもわかるように書いてこそ、プロの研究者であり、教育者なのだ」ということばを引用している。それを実践している著者の姿勢にはまず頭が下がる。もっとも、私のばあい、これまで関心を持ってきたテーマだから読みやすかったということはあるかも知れないが。
もしかすると著者の岡野さんの考えとは違うかも知れないが、私は、日本の中世には、「武家」と「公家」の区別はそんなに大きくなかったという感じをずっと持っている*1。1019年の「刀伊の入寇」*2を撃退したのは、藤原道長の甥で、清少納言が仕えた中宮定子の兄の隆家だから、第一線の「公家」貴族でもばあいによっては軍の最高司令官として活躍したわけだ。実際に前線で指揮をとったかどうかは知らないけど、でも、なんか「春は曙」的な雰囲気となんかギャップがあるように感じる。
また、土佐の一条氏(この本では「氏」と「家」を区別しているので、それに従えば「一条家」かな?)とか、伊勢の北畠氏(これも「北畠家」か)とかは、中央の名門から転じて戦国大名になった家だ。
「武家」貴族から「公家」貴族化したのは、平清盛とかだけで、わりと少ないように感じる。しかもその清盛の家は貴族化に失敗しているし。でも、室町時代などは、堂々たる一流の「公家」貴族が室町将軍からその名前の一文字をもらったりしている*3。それも、室町将軍が全国を掌握する力を失った後にももらっているようだ。
岡野さんのこの本は、「武家源氏」(源頼朝流、足利氏、徳川氏、これもこの本の定義によれば「足利家」と「徳川家」)が、どうして直接の主従関係にない王朝貴族に対しても大きな権威を持ち、対外的にも日本国を代表できたのかという疑問に答えを示すものだ。その答えは、同時に、今谷明さんの『室町の王権』以来、学問的な研究対象になってきている「どうして、政治的権力を持っていないのに天皇家(この言いかたも岡野さんは使わないけど)は存続したのか?」という疑問への回答にもつながっている。ただ、この「王氏」・「源氏」をめぐる終章の部分は少し議論を急ぎすぎているようにも感じられ、ちょっとわかりにくいところもあった。織田信長・豊臣秀吉の話などけっこう興味深い説を展開しているのに……。
ところで、講談社現代新書の新デザインって要するにコストダウン版? デザイン自体はシンプルでいいんじゃないかと思うけど、前と較べると、表紙絵はともかく、表カバーのサマリーとか裏見返しについていた読書案内(+宣伝)とかが省かれていて。なんかいまでも違和感があるんだけど。