猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

黒田基樹『戦国大名の危機管理』に関して触れた点のつづき

 前に、人間を生かすための権力というのだったら、中世から権力はずっと生権力だったのでは、と書いたのだが、大澤真幸さんの『文明の内なる衝突』(NHKブックス)を読んでみると、どうもそうではないようだ。ここでいう「権力」というのは、いわば人間に「いやなことを強制する力」のことで、人間を生きさせるために中世の権力がやっていたことは「権力」ではなく「政治」に属することらしい。
 つまり、「生権力」というのは、たんに人を生かす権力なのではなく、「いやな(いやかも知れない)生きかたを強制する権力」なんだそうだ。
 「政治」と「権力」のこういう使い分けには、私は抵抗があるけど、まあそれで何かが説明できるならいいか、とも思う。ともかく、その話は、『文明の内なる衝突』について書くときに触れよう。
 ただ、この『戦国大名の危機管理』や、おなじ吉川弘文館「歴史文化ライブラリー」の神田千里『土一揆の時代』を読むと、「生権力」が近代になって登場した新しい権力だという話には必ずしも納得できない。ヨーロッパではプロイセンのフリードリヒ大王以降かも知れないけどさ。
 あー、やっぱフーコーの原典に(というか翻訳に)あたらないとダメか……。原典読まないでああだこうだ言っててもただ混乱するだけな気がする。