黒田基樹『戦国大名の危機管理』のつづき
戦国時代の村は、飢饉や自然災害と闘わなければならず、貨幣は存在するのに統一的な管理者がいないために発生する経済問題と闘わなければならず、水争いや土地争いで隣村と闘わなければならず、しかも隣国の大名にいつ土地を荒らされるかも知れないという立場にあった。それは、ホッブズのいう「万人の万人に対する戦い」ではないにしても、村単位の「万村の万村に対する戦い」の「自然状態」だった。しかも、衛生状態も悪く栄養も十分に取れないなかで、自然の猛威とも闘わなければならないという意味での「自然状態」でもあったのだ。
その「自然状態」のなかで、村の存立(「村の成り立ち」というらしい)を守るために、大名は、村と直接に関係を結ぶようになってくる。村の領主は、自分自身が村を支配するのをあきらめ、大名に村の支配権を委ねて大名の家臣の役割に徹するようになる。そのほうが村の領主にとっても楽なのだ。そうやって戦国大名の権力が成立する。
戦国大名の権力が成立すると、戦争のたびに村は人を兵士として差し出さなければならない。隠匿したりすると死刑にされたりする。村の存立のために大名権力と直結することは、大名によって村に住む一人ひとりの住民まで把握されるという「管理社会」の息苦しさももたらした。
そのような戦国大名の権力の上に、豊臣秀吉*1の「平和令」があり、徳川幕藩体制による大名体制の固定へとつながっていく。
それは、たんに権力によって一方的にもたらされた流れではなく、その生活を安定させ、長続きさせたいという村の人びとの欲求の結果でもあった。これこそ、現実に日本列島で起こった「社会契約」の成立する過程だった。この黒田さんの議論を念頭に置いて、ロックやルソーを読み直してみてもおもしろいんじゃないかと思う。
安全で安定した生活を手に入れると同時に、一人ひとりの身柄まで権力によって把握され、管理される――現代社会と同じ問題が、戦国時代の村でも起こっていた。大澤真幸さんの『文明の内なる衝突』や、その問題意識を発展させた大澤・東浩紀『自由を考える』とこの本をつづけて読んだ私はふとそんなことを考えた。
こんなことを考えると、さらに、現在の先進諸国の「セキュリティー社会」化で起こりつつあるのは、新たな「社会契約」の成立という問題ではないか、そう考えてみることで何か新しい視界が開けるのではないか――などと妄想してみるのだが、さてどうだろう? ちょっと考えてみてもいいかも知れないとは思う。