猫も歩けば...

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冥王星「格下げ」に思うこと

 ついに冥王星が「惑星」でなくなってしまった。ただし「学問」的には。
 国立天文台の関連ページ:http://www.nao.ac.jp/nao_topics/data/000233.html
 議論自体は1970年代からあったそうだが、議論が活発化したのは、エッジワース・カイパーベルト天体EKBO)が発見されてからだろう。EKBO発見で、冥王星は「惑星」ではなくEKBOの仲間だという議論が出て、「冥王星は惑星か」という議論が高まってきた。
 しかし、しばらくは、冥王星の地位は、脅かされつつも安泰だった。「冥王星EKBOの一つだとしても、そのなかではとびきり大きい天体だから」というのがその理由だ。まだ小惑星の発見数が少なかったころ、小惑星10000番を冥王星に進呈するかわりに、惑星からはずそうという意見もあったらしいが、見送られたみたいだ。
 ところが、最近になって、準冥王星級の大きさを持つEKBOが見つかり、さらに2003UB313という、冥王星を超えるEKBOが出てきて、冥王星の旗色は一挙に悪化した。EKBOというのは、「遠距離小惑星」とでもいうべき天体で、要するに小惑星の一種である。ちなみに、今回の国際天文学連合では、「エッジワース・カイパーベルト天体」という表現は使わず、「海王星以遠天体」という用語のほうを使うみたいだ(じゃあ、海王星の内側にある同種の天体は外すのか?)。
 で、2003UB313冥王星より巨大なのに、2003UB313が「小惑星みたいなもの」で冥王星が「惑星」というのはおかしいのではないか、という、はなはだ「民主的」な意見が出て、じゃあ2003UB313を惑星にするか、冥王星を惑星からはずすかという議論でもめた結果、けっきょく冥王星をはずすことに落着したらしい。
 たしかに、天体2003UB313号(呼び捨てじゃなくて「号」ぐらいつけてあげたいです、とふと思った)を惑星にすると、芋づる式に四大小惑星のうちの一つケレス(英語読みっぽくすると「セレス」)を惑星に入れなければならなくなり、それでは他の三大小惑星との均衡を欠く、ということになってしまう。他の三大小惑星とケレスとのあいだに本質的な違いがあるかどうかというと、ケレスを惑星にして他を小惑星にするほどの違いがあるとはちょっと思えない。
 ただ、今回の国際天文学連合の決定でもケレス特別扱いは残っている。「ドワーフ惑星」(矮小惑星とか訳していて、「矮小銀河」とかいう用語と訳語の関連を持たせているのだろうけど、まぁ「急行」に対する「準急」みたいな感じで「準惑星」でいいんじゃないのかな? 「準‐」は quasi- の訳語だからだめなのか? それはそれとして、天文学がそんなに「正確な名まえ」にこだわるのなら、活動銀河核を「準星」<quasar<quasi-starと呼ぶ用語もなんとかしたらどうだろう?)というカテゴリーを新たに作って、そこに冥王星とケレスと天体2003UB313号を入れることになったらしい。そうすると、こんどは、四大小惑星のほかの三大小惑星は「ドワーフ」にもなれないのか、冥王星よりも小さいけれどそこそこ大きい「海王星以遠天体」(EKBO)はどうするのかという議論が出てきて、またそのへんを詰めなければならなくなりそうだ(というか、これから詰めるんだそうだ)。まあ、四大小惑星と、「海王星以遠天体」のうち冥王星に近い大きさの二つ(クワイワーとセドナ、だったかな?)は検討の対象になるだろう。ついでに言うと、小惑星10000番提案にあった「冥王星特別扱い」の発想は残っていて、ドワーフ惑星の代表として冥王星を特別扱いするらしい。
 さて、私は学問の進展に合わせて、認識の基準を変えていくことには賛成は賛成なのだけど、この「冥王星外し」の件ではわりと守旧的立場を取りたいな、と思っている。もとより私は天文学者ではないし、アマチュア天文家でもないので、天文好きの一人の意見にすぎなくはあるけど。
 まず、天体の定義というのは難しく、しかも現在の定義もいい加減なところがあって、「この天体はドワーフ惑星であって惑星ではない」というようなところまで厳密に定義しなければならないものなのかという点が疑問である。
 たとえば、彗星と小惑星はどこが違うか。私の知っている定義から更新されていなければ、地上から見てしっぽが見えたり周りがもやもやしていたりしたら彗星、そうでなければ小惑星である。
 だから、発見当初は小惑星に分類されていて、そのうちところが尾が生えてきて彗星に分類し直しになりました、などという例は最近では数多い。新発見の小惑星だと思っていたら、その正体は、はるか昔に発見されて行方不明になっていた彗星の再出現でした、などという例もある。いかにも彗星っぽくても、地上から見て周りのもやもや(コマ、「尾」に対して「髪の毛」である)とか尾とかが見えなければ小惑星に分類されてしまう。
 で、冥王星がこれまでなぜ惑星扱いされてきたかというと、ともかくも地上から見えるからだ。見るためには口径30センチとかの望遠鏡が必要らしいけど、見えることは見えるらしい。彗星と小惑星については「地上からの見えかた」にこだわるのに、惑星かどうかについては「地上からの見えかた」についていっさい無視というのは、何か割り切れない気がする。
 あと、これは冥王星の立場を擁護する論理にはならないけど、大きさだけで惑星かどうか決めていいかという問題がわりと本質的だと思う。いや、決めるならば決めていいけど、それにどういう学問上のメリットがあるか、国際天文学連合の先生方には伺いたいところだ。
 同じ惑星に分類されていても、まず木星土星天王星海王星と水星・金星・地球・火星は相当に性格の違う天体である。木星土星天王星海王星を分けようという議論すらあるらしい。
 また、同じ小惑星に分類されていても、まずふつうの岩石小惑星を考えてもコンドライト質かエコンドライト質かという区別がある……あったんじゃないかと思う。このへんうろ覚えです、すみません。ともかく、ケレスをはじめとする四大小惑星みたいに、小さいけどまあまん丸くて「惑星の小さいやつです」ぐらいの天体と、「六本木ヒルズの森タワーが宇宙を飛んでいる」(なんかたとえがヘン?)という程度の大きさの天体とをいっしょに「小惑星」と呼んでいるのもへんな気がする。
 しかも、現状では、「海王星以遠天体」も小惑星に入っていて、これには多く「氷の塊」天体が含まれているのではないかと考えられている。少なくとも、エッジワースとカイパーがEKBOを構想した段階では、海王星より遠い宇宙に「彗星の巣がある」という構想だったはずだ(二人で構想したのではなく、まずカイパーさんの仮説が注目され、「カイパーベルト天体」とか呼んでいたら、調べてみたらエッジワースさんがそれより先に同じようなことを言っていたことがわかり、「エッジワース・カイパー・ベルト天体」と呼ばれるようになった)。つまり、EKBOの多くは「太陽の近くに来ると彗星になる天体」と考えられていた。
 そして、今回、惑星の地位から陥落した冥王星も、やっぱり氷の塊である。冥王星と、多くのEKBOは、彗星と同じ仲間なのである。
 もっとも、彗星の大きさというのは数キロという単位なので、彗星は氷天体の破片、または、大きな氷天体になり損ねた天体みたいなものとして考えたほうがいいのかも知れない。これは、隕石や小さめの小惑星が、岩石天体の破片、または大きな岩石天体になり損ねた天体と考えていいのと同じだ。
 ただし、過去に冥王星のような巨大氷天体が破片にならないまま太陽の近くまで落ちてきたということがないとも限らないけど。でもそういうのは太陽の近くまで来ると分解しちゃうだろうな。そうすると、「彗星シャワー」みたいなことになるわけで、『ストラトス4』ってちゃんと見てないんだよね、とかそういう話になってしまう……のだけどやめておこう。DVD買うかなぁ。でも『R.O.D.』も欲しいんだよなぁ。予算は限られてるし、ほかに欲しいアニメのDVDはいっぱいあるし。それに買っていつ観るんだという問題もあるし。はぁ。
 つまり、惑星・小惑星・彗星と分類されている天体には、岩石でできているもの、ガスでできている巨大なもの、氷でできているもの、岩石天体や氷天体の破片っぽいものがある。そういうふうに材質でまず分け、そっちを学問的定義としたうえで、「惑星」には、岩石天体から代表として水星・金星・地球・火星に、ガス天体からは木星土星天王星海王星に、氷天体からは冥王星に入ってもらってます――ということにしていいのではないのかな? その根拠は何かと問われれば、昔からそう言われているし、地上からも見えやすいから、ということでいいのではないか。
 まあ、すごい単純化した表現で言えば、「天体2003UB313号が惑星でないのに、それより小さい冥王星が惑星ではおかしい」という民主主義 対 「昔から冥王星は惑星だったんだから惑星でいいじゃないか」という保守主義、という対立である。で、私は、ここでは「保守主義」側に立ちたいわけだ。
 その理由は、惑星の名まえが背負っているものが、人類社会の天文学以外のところにしっかり根づいている、ということによる。私は、「水星、金星、火星、木星土星」という漢語名の起源はよくわからないので(まあ「木火土金水」の五行を割り当てたという察しはつくのだが、どうしてそういう割り当てになったのかは知らない)、英語名のほうについてだけ議論しよう。そういえば、アラブ名とかはどうなっているのだろう?
 いま読んでいる逸身喜一郎『ラテン語のはなし』(大修館書店、isbn:4469212628)という本に、惑星の名づけかたの話が出てくる。そこで人類文明のなかで長く親しまれた木星(ジュピター:ユピテル:ゼウスの星、「英語読み:ラテン語読み:対応するギリシアの神様」の順、ラテン語ギリシア語の長音は無視)・土星(サターン:サトゥルヌス:クロノスの星)の外に新しい惑星が見つかったとき、それがなぜ「天王星」に決められたのかという苦心の跡が記されている。
 まず、前提として、神様の系譜上、ジュピター=ゼウスが現在の最高神、サターン=クロノスが前最高神で、あまりに暴虐なので、仲間たちと息子のジュピターと戦って追放されたということになっている(サターンの仲間たちの多くは土星の衛星の名まえになっている……んじゃなかったかな?)、ということがある。
 で、土星の外側となると、サターンのさらに前代が来るのが自然だ。ところがローマ神話にはサターンよりさらに前代がない(別の本で読んだ内容だと、「ジュピター」自体ももともとはゼウスのような人間っぽい性格はない神様で、ただの抽象的な「最高神」だったのが、ゼウスの性格が移植されてローマ神話のジュピターになったのだという)。ギリシア神話には、サターン=クロノスが天と地(「ガイア」である)との交わりで生まれたという話がいちおうあったので、その「天」の名を取って「ウラノス」(ラテン語語尾に変わってウラヌス)とした。これもけっこう無理な命名で、「ウラノス」というのはギリシアでもゼウス(ジュピター)やサターン(クロノス)のような人間的な性格を認められておらず、単に「大地に対する天空」という程度の意味で、神としても祭られていなかったそうである。だから、「新惑星はウラノス」と聞いて「だれ、その神様?」と思った当時のヨーロッパ人も多かったかも知れない。でも、ともかく、天王星土星木星と、最初の最高神→二代め→三代めで現在の最高神という順番に並んだのである。
 で、その外に見つかった海王星は、もはや祖先にさかのぼれないので、ジュピター(ゼウス)の弟で海の国を支配するネプチューン(ネプトゥヌス=ポセイドン)の名まえをつけた。そして、その先の惑星が見つかったときに、やはりゼウスの兄弟で冥府を支配する(日本でいうと天照大神に対する素戔嗚尊(スサノオ)のような神様か)プルートーギリシア神話ではハーデース(ハーデス)またはハーイデース、ただしプルートー=「プルートン」=「富める者」という名まえもギリシア起源)の名前をつけた。
 これで、木星土星天王星最高神の祖先系列、木星海王星冥王星最高神の兄弟系列ができたわけである。
 ついでに言うと、冥王星を見つけたトンボーは、海王星以遠の惑星探索を目指していたパーシヴァル・ローウェルの創立した天文台で働いていて(またもうろ覚えだがたしかそうだったと思う)、新発見の惑星の頭文字がローウェルと同じ「PL」になるように「プルートー」の名を選んだのだという。天文学でも占星術でも使う冥王星マークも「P」と「L」の組み合わせである。
 というわけで、長々と書いてきたけれど、「冥王星」というネーミングには、天文学者だけではない、また天文学だけではない、さまざまな事情が絡んでいる。冥王星が惑星でないことにすると、ジュピターの兄弟のうちで、海を支配するネプトゥヌスは惑星だけど、冥府を支配するプルートーは惑星ではありませんということになって、天文学はそれでいいんだろうけど、文学的想像力の世界ではなぁんかヘンなことになってしまう。
 もうひとつ、ついでに天文学的なことを言うと、冥王星を排除する有力な理由として、冥王星の軌道が海王星と重なっていることが挙げられているけど、それでは冥王星の軌道が海王星と重なっていなければ依然として冥王星は「惑星」だったのか、という疑問が生じる。冥王星の軌道が海王星と交わっているのが必然であり、海王星の軌道と交わらない冥王星的な天体は理論上想定できないというならば話は別である。だが、海王星と軌道が交わらない冥王星のような天体もあり得るとして、確率は非常に低いけれどそういう天体が将来見つかったならば、それは今回の定義だと「惑星」になってしまう。それで合理的なのか、というと私は疑問に思う。
 惑星の定義というのをどうしても 大きさを基準に きちっと決めなければならないのなら、今回のような定義もやむを得ないだろう。しかし、いまの惑星というのは、文学とか神話とか、天文学以外の人間文化も反映して決まり、社会に定着してきたものだ。それを天文学者の集まりだけで決めることにどれだけの意味があるのか。私にはやっぱり疑問だ。惑星はいまのままにして、学問的には太陽系天体は(太陽系外惑星なども)「ガス天体/岩石天体/氷天体/その破片」に分けられるんですよ、と定義を刷新したほうがより根本的ではないか。
 うがった見方をすると、1930年に新惑星が発見されて、それに冥府の神の名まえなどをつけてしまったために、それから大恐慌だ(これは前年に始まっているが)、第二次世界大戦だ、冷戦だ、パレスチナ紛争だ、中東戦争だ、湾岸戦争だ、ソマリア戦争だ、ユーゴスラヴィア崩壊だ、コソヴォ紛争だ、「原理主義テロリズム対「対テロ戦争」だと、大量死が伴う悲惨な大事件が起こり続けているので、ここらで冥府の神の名まえを惑星から消してゲン直しをしたいのかも知れない。ギリシアでなぜハーデスがプルートー=「富める者」と呼ばれたかというと、「死者は増える一方なので冥府の人は多くなるばかり」という意味があるらしいから。これ以上、プルートーに富んでほしくない、という願望が、「冥王星外し」の理由なのだろうか?
 でも、どうなのかなぁ?
 神様が怒って、人間にさらなる災厄を送ったりしなければいいと思うけど。