猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

『ARIA The NATURAL』版「銀河鉄道の夜」の話の続き

 昨日の日記(id:r_kiyose:20060821)の続きです。
 アニメでは、「銀河鉄道」は死者が乗る鉄道だという話が出ていたのだから、あの猫たちは死んだ猫たちで、灯里があの子猫に切符を渡さなければ子猫は生き残ったかも知れないという解釈もふと思いついたりする。でも、もしそうだとしても、あの子猫が列車に乗れなければ、あの子猫は天国にも行けず地上にも戻れずという中途半端な状態になったのかも知れない。少なくとも子猫は親たちといっしょに行きたがっていたのだ。まあそう深刻なほうに考える必要もないのだけど。
 でも、アニメの『ARIA』シリーズは、あまり表には出て来ないけれど、生きることとか命とかいうようなことをテーマにしている作品のようにも感じる。
 ところで、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」が好きな者としては、「銀河鉄道」の機関車としてC62みたいな(日本の鉄道としては)巨大な機関車が出てくるのはちょっと違和感がある。999はいいんだけど。まったく別のお話だし、あのお話でC11とかが牽引していたら「だいじょうぶかぁ?」と思ってしまうだろうから。
 最近読み返していないのでもしかするとまちがいかも知れないけど、「銀河鉄道の夜」の鉄道は「川沿いの軽便鉄道」だったというのが私の印象で、列車を牽引している機関車も、近郊線用のC11とか、地方の簡易線用のC56とか、もっと昔の明治時代のB6とかの印象があるんですね。
 ただ、宮沢賢治が「川沿いの鉄道」として北上川沿いを走る東北本線を考えていたとしたら、もう少し大型の蒸気機関車が入っていたとしてもふしぎではないのだが。う〜む。こんど賢治ファンのひとに会ったらきいてみよう。前回は前日夜のドタキャンで迷惑をかけてしまったけれど m(__)m 、次の花巻の即売会TRIPには絶対に行くと固く心に決めているし(^^;。
 『ARIA The NATURAL』の機関車「K10C」もけっこう大きかったけれど、あの銀河鉄道列車が去って行く場面で私が感じたのはちょっと別のことだった。最近、私が強く感じているのが夜行列車の衰退ぶりの激しさである。相手が「鉄」分の特別に濃い人でなくても、10年以上前の旅行の話をしていて、夜行列車の名まえが出て、「あれ、そういえばあの列車ってまだあるんだっけ?」、「もうないよ」というような話になることが多い。「出雲」(サンライズでないほう)も私が乗った直後に姿を消した(というより、なくなることを知って、『かみちゅ!』に出てきた神社や中学校を見るのを兼ねて乗りに行ったのだが)。で、夜行列車に乗ってみると、夜行列車への設備投資もすごくケチられている感じがする。夜行バスがこれだけ列島を走り回っているのに、いったいこれは何だ、とか思ったりもする。このぶんだと夜行列車はまだ次々に姿を消していくのかも知れない。
 というわけで、あの姿を消した夜行列車たちは、いまはどこかの銀河鉄道で猫たちを乗せて走っているのだろうか?――というのが、灯里ちゃんとアリア社長といっしょに銀河鉄道列車を見送った私の感傷だったりするのでした。