猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

涅槃会の思い出

 2月15日は「涅槃会」の日だということを、2020年まで私は知りませんでした。
 2020年2月15日、私は用があって大阪にいました。午前中が空いていたので、四天王寺まで行ってみました。
 その前年に大阪ドームで即売会があって、そのときにお参りして以来です。
 そのときすでに新型コロナウイルス感染症の流行という話は出ていました。でも、武漢が都市封鎖されたという話が海外報道として伝わり、クルーズ船で感染者が出て、乗客が船から下りられないというニュースが流れていた時期でした。まだ日本国内に新型コロナウイルス感染症が広く拡がっている状況ではありませんでした。
 それでも私はマスクを着用して行ったのは覚えています。かなり前にインフルエンザが流行したときに買って使っていなかったマスクが眠っていたので、それを引っ張り出したのです。
 後に、その袋に入っていた何枚かのマスクを3か月後まで洗って使い回すことになるとは、そのときには想像もしていませんでした。
 それで、たまたま参詣してみると、参詣客がいっぱいいました。欧米から来たらしい人たちから中国語らしいことばを話している人たちまで、さまざまな外国人も多くいました。
 どうして今日はこんなに混んでいるんだろう、と思っていたら、お坊さんが登場し、今日は涅槃会である、つまりお釈迦様の亡くなった日であるということを話し始めました。
 4月8日のお花祭りは知っていたのですが、長いあいだ生きてきて、お釈迦様の亡くなった日のお祭りがあることはこのとき初めて知りました。
 最後に、仏舎利、つまりお釈迦様のお骨とされる宝物を頭の上にかざしてもらい、幸運を授かる、という儀式に参加させていただきました。
 いまの社会で「かざす」というと、ICカードをかざすように、仏舎利から私の頭に幸運が「ピッ!」と入ってくるんだろうな、というイメージになってしまうので……なんか、ありがたさが減るという感じですが。
 でも、逆に、何かをかざしただけでカードやスマートフォンから何かが伝わって料金が払えて電車に乗れるということ自体が、少し前の人たちからすると、「ありがたい」、つまり奇跡のようなことなんだろうな、とも思います。
 私たちのいまの日常には、少し前までの人たちにとっての奇跡がいっぱい入ってるんだろうな、と。
 涅槃会に考えることじゃないかも知れませんが。
 結果的に、現在のところ、観光地に行くとインバウンドの外国人観光客にいっぱい出会う、という体験の最後がこの日になっています。
 いや。
 考えてみれば、それ以来、「観光地」というところには、浅草での即売会の帰りに寄った浅草寺以外には行っていない。忘れているだけかも知れませんが、たぶん行ってないと思います。