猫も歩けば...

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馬上での武器使い

 ところで、私がこういうことを書いたのは、馬上でまともに武器が操れるのか――という疑問をずっと持っているからです。
 日本の軍記物や戦国時代もののドラマでも馬上で武器を取って戦う場面がよく出てきます。『三国志演義』や『水滸伝』など、中国の「白話小説」の戦闘ものにもよく出てくる。
 けれども、ほんとうに馬に乗って武器を操れたのか?
 私がそういう疑問を持ったのには主に二つの由来があります。
 一つは、フリーペーパーの文章にも書いた、中国内蒙古自治区(「内モンゴル」。一回めは東モンゴル、二回めは南モンゴルで場所はまったく別)での二度の乗馬体験です。一回めはまったく動いてくれず、二回めは乗り手の意志を完全に無視して暴走、鞍にしがみついているのがやっとだったという体験によります。
 二回めのばあいも馬や慣れた人から見ると「暴走」ではないのでしょう。まわりの馬が走り出したからいっしょに走り出したのと、いつもいるところから遠くまで連れてこられたので、元の場所に早く戻りたくて走ったということのようですけれど、私のコントロールを受けつけなかったのは確かです。こっちが手綱を引いても向こうが首で引き戻しちゃうんだから。あれは恐怖の体験でした。
 慣れた人は平気で馬を操っていましたから、「慣れの問題」、そして、相手も一定の知能のある動物なので、馬と人との「信頼感の問題」なのでしょう。それにしても、馬がだれにでもすぐに乗りこなせる動物でないということは実感しました。
 馬を乗りこなすだけでもたいへんなのに、その馬の上で武器を操り、敵を倒すというのは、もし可能だとしてもかなりの習練を必要としたのではないかということを考えたのです。
 もう一つは、鈴木眞哉さんの本の影響です。日本の馬は小型で、とても甲冑を着た武者を乗せて長距離を移動することなどできる体力はなく、まして馬上での戦闘など無理だったというものです。また、鈴木眞哉さんによると、日本の戦闘は遠戦志向で、本格的な戦闘で刀での斬り合いなどあまり起こらなかったはずだということです。当然、馬上で武器を揮っての戦闘はあまり起こらなかったということになります。
 そういうことをずっと考えていたので、「馬上剣法」自体に「そういう剣法は可能なのか?」という疑問を持ち、そこから映画でも「武蔵は馬上ですでに二刀流を使っていた」と描いていたという誤解をしてしまった――のではないかと思います。