猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

限りなく有名な例のトリック

 でも、予備知識なしにこの作品を読んだ人に強い印象を残すのは、何と言ってもその斬新なトリックでしょう。
 これに関してはフェアかどうかという議論がずっと絶えなかったということですし、その後、同じようなトリックが他の作家にも応用され、「○○トリック作品」という一つの「ジャンル」を形成するまでになっても、『アクロイド事件』については「このトリックはアンフェアだ」という非難する人がそれなりに多いということです。
 私はこのトリックはフェアだと思います。ともかくも手がかりがきちんと作品のなかに明示されているからです。それに、たとえば、鍵に細工をして密室を構成したというトリックを使いながら、鍵が細工されていることを示唆する記述が犯人明かしの直前までまったくないような探偵小説もあるわけで、そういう作品に較べるとこの作品の手がかりの示しかたは十分にフェアだと思う。
 しかも、今回、再読してみて気づいたのは、作者がこのトリックに関してわりと「良心的」だということです。
 それは、最後の犯人明かしの少し前に「こういう可能性も疑ったほうがいい」という方向に話が行く一段があるからです。後の同種のトリックの作品では、最後にいきなりそのトリックが明らかにされて、「あ、これってこのトリックの作品だったのか!」と、まさに騙されたような気分になるものもあります。それに較べると、クリスティーのこの作品での「トリック」の提示のしかたは、読者が「完敗」しないように十分に配慮しているな、と思う。まあ、その示唆されている部分まで読んで、そのトリックの可能性に気づくのはすでに「負け」だという感じかたもあるかも知れないけれど。
 もちろん、後続作品に「騙された」と思うのはこの『アクロイド事件』が「ジャンル」を作ってしまった後のことで、読者はたいてい「『アクロイド』と同じトリックという可能性は(知っていたけど)はずして考えていたのに、やっぱり『アクロイド』といっしょだったのか!」と思うわけなので、そういう理由で後続作品を非難することはまさにフェアでないとは思いますけど(ただし『アクロイド事件』が世界初のこの種のトリックの作品ではないことについては……まぁ何か「ものの本」を読んでください。少なくとも私はクリスティーより前の同種トリック作品は読んでいません)。
 でも、その最後の「配慮」のところまで行かないとその可能性に気づけないかというとそうでもない。途中で「あれ? これ、何か変だぞ?」と「引っかかる」ところはいくつも作られています。ある思いこみをはずせば、細かい手口・手順まではわからなくても、「こいつがやったのか」という見当がつく程度には、犯人に結びつく手がかりはわりとわかりやすく配置されていると言っていいと私は思います。
 まあ、ともかく、氷菓としては……ではなく、評価としては、わりと月並みかも知れないけれど、フェアかアンフェアかという論争を引き起こし、それがいまでも続いているというのは、やっぱり偉大な作品なんだな、ということになるでしょう。
 これがポワロ(ポアロ)ものの長編としては三作め、ヘイスティングズ大尉(初期の作品でポワロに対するワトソン役=助手 兼 伝記作者を務めた)が記述者にならない長編としては初めての作品というのも意外でした。