猫も歩けば...

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坂野潤治『明治デモクラシー』(isbn:4004309395)

 前に同じ著者の『昭和史の決定的瞬間』(ちくま新書)の書評を書いた(http://www.kt.rim.or.jp/~r_kiyose/review/rv0408.htm)。著者の坂野潤治氏は「日本デモクラシー史」のようなシリーズを考えているようで、そのシリーズの明治版である。
 私が坂野潤治氏の本を評価するのは、読んでいておもしろいからである。著者はいま書いている対象が好きなんだなということがはっきりと伝わってくる。文章を読めば、この人は、歴史上の人物の書いたものを机の上に置きながら、感心したり、吹き出したり、激しくツッコミを入れたりしながら読んでるだなということが伝わってくる。もしかすると私の一方的な思いこみかも知れないけど――でもたぶんそうではないと思う。他方で、自分が好意を抱けない思想は分析の対象にしないと坂野氏はあとがきにはっきり書いている。坂野氏は、明治自由党のなかで官僚との妥協路線を準備した政治家の星亨について、普通は言わない本音のようなものを率直に言ってしまうところが嫌いになれないと書いている。その「本音を率直に言ってしまう」という点では坂野氏自身も同じで、だから星に興味を持ったのかも知れない。
 坂野氏の本はじつはそんなにわかりやすい本ではない。この『明治デモクラシー』はそれほどでもないが、『昭和史の決定的瞬間』は、1935〜37(昭和10〜12)年の政治の動きをある程度は詳しく押さえていないと何が書いてあるかなかなかわからない本だった。こんどの『明治デモクラシー』は、少なくとも、登場人物が、福澤諭吉中江兆民大隈重信植木枝盛河野広中美濃部達吉北一輝など、わりとビッグネームか、少なくとも高校程度の日本史には出てくる人物なので、『昭和史の……』ほどの難解さはない。
 坂野氏の方法の独特さは、たぶん、歴史上の人物が書いたものを直接にていねいに読むことに全力を傾け、そこからその人たちの主張を引き出して「歴史上の人物に直接に語らせる」というところにあるのだろう。もちろん、そういうことは多くの歴史家が多かれ少なかれやっていることだけれど、坂野氏はそれを歴史学的に整理された歴史上の人物の位置づけなどより先行させる(もちろん無視するわけではない)。だから、この本では、のちに二・二六事件の思想的指導者として処刑される北一輝が、二・二六事件とほぼ同じ時期に「国体」に反する思想の持ち主として政界・知識界から追放される美濃部達吉憲法学者)よりもラジカルな民主主義者として登場する。
 それによって歴史上の人物の多面性も浮かび上がってくる。たとえば、明治初年の自由民権運動での土佐派(中江兆民植木枝盛板垣退助など)の先導的な役割はこの本でも高く評価されているけれども、その土佐派が、交通が十分に整備されていない福島から出てきた民権運動指導者の河野広中に対して、セクショナリズムとおそらくエリート意識から門前払いに近い冷淡な接し方をしたことも紹介されている。
 「明治デモクラシー」ということばは、ほかで聴いたことがなく、たぶん著者の造語だろう。なんでそんなことばを使ったかというと、一つは、明治の「デモクラシー」的伝統を、「自由民権運動の歴史」で終わらせたくなかったのだろうと思う。「自由民権運動」史とすると、最初のほうは威勢がいいけれども、1880年代中盤(明治10年代後半〜20年代初頭)になると、分裂し、混迷し、一部は政府と妥協したりして、なんか威勢がなくなってわけがわからなくなってまさに「尻すぼみ」に終わってしまう印象がある。そうではないんだということを著者は強調したかったのだろう。「自由民権運動」が終わったあとも、明治憲法下でも運動は継続し、20世紀初頭になってようやく「明治デモクラシー」運動は停滞して終わりを迎えると書いている。もう一つの理由は、それとの関係で、「明治デモクラシー」運動を、運動の当事者の意識に反してまで「大正デモクラシー」運動との連続で捉えたいという情熱があるからだろうと思う。
 この本で、著者は、日本の知識人が、欧米の最先端の思想の吸収には熱心でも、過去の日本の思想からの吸収にはまったく熱意を示さないことを嘆いている。私はここのところ「自由論」に興味を持って、いちおう一区切りするまで読んでみたいと思っていろんな本を図書館から借りてきて読んでいる。で、そこで私はその坂野氏の苛立ちを共有するのだ。日本人の書いた「自由論」なのに、ホッブズとかロックとかルソーとか、ヘーゲルとか、ロールズとかノージックとかはしきりに引用されているのに、北一輝はともかく、福澤諭吉中江兆民吉野作造もほとんど出てこないんだもんなぁ。東浩紀id:hazumahttp://www.hirokiazuma.com/)さんの『動物化するポストモダン』の図式によれば、第二次大戦後の日本文化は敗戦によって断絶され、その完全な廃墟の上にアメリカ文化が移植されたということになっているけど、敗戦で暴力的に断絶させられたという以上に、日本の知識人が自ら第二次大戦期までの日本の知的伝統を受け継がなかったという面が強いのではないかと私は思う。しかし、日本の保守政治の仕組み(「仕組み」だから、そこには当然ながら革新側も含まれる)とか官僚体制とか、1940年はもちろん、それ以前の日本の仕組みを強固に受け継いでいて、それは日本の政治的風土に根ざしているのだから、日本の知的伝統を受け継いでいない「知」ではそれに対抗できなかったんだよね。