猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

寄合と日本の民主主義

 で、昨日の話のつづき。
 私は、日本の民主主義というのは、アメリカが「押しつけ」るのとは別に、日本に根を持ったものだったと思う。「民主主義」というのは西洋の考えかただけれど、それが入ってきたときに受けとめる基盤が、日本の伝統社会とか伝統的な考えかたとかのなかにあったのでは、と思うのだ。その一つが、日本の村の「寄合」の伝統で、もう一つが、昨日書いた儒教の「徳治主義」だと思う。
 (ホームページとか同人誌とかですでに書いたネタだが)宮本常一さんの『忘れられた日本人』に西日本の村の寄合の話が出ている。村の家長の男性が寄り集まって、ともかく全員の意見が一致するまで議論する。議論するといっても、ディベートとか弁論とか、「討論」とかをするのではない。議論をして、で、「いやぁ、それはちょっと」とかいう声が出たら、「じゃ、それはあとでまた話そう」ということにして別の話題に移る。だいぶ経ってから「ところで、さっきの件だが……」という話を蒸し返す。それでも「やっぱりなぁ……」とかいう声が出たら、また別の話題に行く。そうやって3日も4日も話をして、その話題について何も異論が出なくなったら「全員一致」ということで決定する。
 これを読んだとき、日本の組織の名物である「長い会議」の起源はコレか! と思った。
 議論になりそうだな、と思って、提案を説明して、異論がないから決まったのかと思うと、会議の議題が最後まで行ってから「では全体的に何か?」と議長が言うと、「ところでさっきのあれだが」と言って、いったん決まったはずのことにケチをつけるやつが出て、それから延々と議論がつづく。議論は、議題順に議論が進んで、その後になってようやく始まる。しかも何か事態を打開するような画期的な提案が出てくるわけではない。もし出てきたとしても、その提案が理解され、真剣によいところ悪いところを挙げて検討されることはまれだ。出てくる話は、「困りましたね〜」とか、関係があるんだかないのだかわからないような愚痴の類ばかりで、実質的に提起された問題を解決するような議論がまるで出ないまま、それで時間がどんどん過ぎていく。そしてみんなが疲れたころに「この件はこういうことで」ということになり、だれも声を立てなければ会議で決まったことにする。
 論理的に討論することよりも、「参加者が疲れ切るまで議論する」ことのほうがたいせつなのだ。
 まあ、もっとも、これだけ経済状況がシビアになってきた時代で、しかもブログとかで個人が意見をどんどん言うようになった状況で、いまもそんな会議がたくさん行われているかどうかは知らない。幸いなことに私の職場はそうではない。「会議は短いほうがよい」という信念で、異論を言えるときに言わなければ会議はどんどん進んで終わってしまう。
 が、職場周辺や職場外で私の属している組織にはそれっぽいのがいくつかある。会議の終了予定時刻まではみんなおとなしくしていて、終了時刻を過ぎたところで、みんなが「ちょっと一つだけいいですか?」とか言い出して、一人が10分とかしゃべる。それも強いて発言を求めて話すほどのことのない世間話のような内容を、「あのひとがしゃべるんだったら、私も」って感じでだ。その結果、会議は予定時間から一時間延びても終わらない。最初は憤っていたが、最近は「ここはそういう風土なんだ」と慣れた。
 こういう「寄合」の伝統があったから、日本は「民主主義」というのが入ってきたとき、それを社会の基礎の部分で受け入れられたのだろう。日本の「民主主義」の受け入れかたは、ヨーロッパ語の読めるエリートだけが理解し、一般民衆はぜんぜん理解していないという状態とは違ったと私は思うのだ。
 けれども、同時に、それは、伝統社会のなかで、結論がどっちに転んでも社会全体がひっくり返ることのないような話題を議論する方法の枠内で受け入れられてしまった。それが日本の「民主主義」の動きの鈍重さ、よく言えば穏和さの伝統につながっているのではないかと思う。