猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

碇義朗『戦闘機「隼」』光人社NF文庫(isbn:4769820992)

 大ざっぱに言うと、前半は中島飛行機技師長の小山(やすし)を中心とした帝国陸軍の一式戦「隼」の開発物語で、後半が隼の戦記である。
 興味深かったのは隼の開発物語だ。性能上も優れ、戦果も挙げている現役機があると、後継機の開発は苦労する。隼のばあい、九七戦(九七式戦闘機)が先に存在し、日中戦争で戦果も挙げていたために、九七戦を上回らなければならなかった。
 その開発過程で大きな「壁」になったのが、現役戦闘機乗りと、その成功体験を受けた上層部の保守性だった。隼は、可変ピッチプロペラと引き込み脚を採用しているなど、技術的には九七戦より優れていた。また、速力と航続力も九七戦より上だった。けれども陸軍は隼の採用をなかなか決断せず、一度は開発の中断に近いところまで追いこまれた。
 なぜかというと、日中戦争の空戦体験で、戦闘機は挌闘戦で戦うものであり、挌闘戦に強い戦闘機こそいい戦闘機だという常識ができあがっていたからだ。挌闘戦となると、相手の後ろに回りこむために旋回性能が高いほうがよい。つまり、旋回のときに描く円の半径(旋回半径)が小さく、しかも急旋回しても失速しないほうがよい。そのためには、飛行機の浮力を支える翼の面積に比して重量が軽いほうがいい。重量を翼面面積で割った値を翼面荷重といい(もしかすると不正確かな? でもだいたい合ってると思う)、この翼面荷重が小さいほど旋回性能はよくなる。
 ということは、翼面面積を変えない限り、新しい技術を持ちこんで機体を重くすると、旋回性能が落ちてしまう。強力なエンジンを使ってエンジンが重くなるとやはり旋回性能が落ちる。隼は、何度も試作を繰り返したあと、九七戦より速力や航続力で上回りながら、旋回性能でほぼ同等の戦闘機として完成した。それで隼は名機として活躍できたわけだが、「九七戦を上回る」という開発の事実上の第一目標は後まで隼の運命を制約しつづけた。たとえば、隼は12.7ミリ機関砲2門の胴体装備が限界で、これ以上の機関砲の強化ができず、戦闘機の重武装化についていけなかった。