猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

碇義朗『戦闘機「隼」』のつづき

 たぶん、当時の中国(蒋介石政権)の戦闘機やソ連の戦闘機を相手にするかぎり、九七戦がいちばん適した戦闘機だったのだろう。そこでの成功体験が隼の開発の「壁」になってしまった。九七戦の「軽さ」に慣れた戦闘機乗りは、隼の操縦感覚の「重さ」に抵抗を感じ、隼をあまり高く評価しなかった。
 こういう気分は、「Windows95は重いし使いにくい」とうそぶいて、2000年問題が発生するまで(つまりWindows98が出ても)Windows3.1を使いつづけていた私にはよく理解できる(なんか違う?)。でも、いまでもPC98のほうが日本人には合ったパソコンだったよなぁと思ったりもする。あのままあの技術が連続して発展していけば、いまごろどんなパソコンができていただろうと空想したりもする。
 WindowsやPC98はともかく、九七戦に慣れたパイロットが隼に高い評価を与えられなかったのは、たんに「成功体験が技術革新の足を引っぱる」と一言で片づけられないものがある。戦闘機乗りにとっては生死のかかった問題なのだから。
 もし、その戦闘機乗りの意見を押し切って、いきなり翼面荷重は大きいけれども速力が大きく武装も強力な戦闘機を作っていて、それを現場に押しつけたとしても、隼のように活躍できたかどうかはわからない。少なくとも現実の隼のようには活躍できなかっただろうと思う。九七戦に慣れたパイロットにも使いこなせる戦闘機を、対米英開戦の年に供給できたからこそ、隼の戦果があったのだろうと思う。
 前にも書いたことだけど、日本の帝国陸海軍の航空部隊に関するかぎり、中国戦線での経験とか戦訓とかは、その後の作戦その他に非常に大きな影響を与えていると思う。
 ところで、そういえば毛沢東の共産軍っていつから飛行機を持っていたのだろう? あんまり聞かない気がするんだけど。第二次大戦後の国共内戦でも飛行機使ってたかな? ついでに言うと、汪精衛(汪兆銘)の南京政権(対日和平政権)も空軍持ってたんだろうか? さらに満洲空軍は? う〜む……。