猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

「塵の円盤」をめぐる誤解

 フォーマルハウトの惑星と HR 8799 の惑星は、どちらも、中心星(恒星、自分で輝く星)が「塵の円盤」をいまも持っているということです。
 私は、前の日記を書いたときまで、「塵の円盤」というのは「原始惑星系円盤」がそのまま残っているものだと誤解していました。だから前回まではそういう誤解のもとで文章を書いています。
 今回もそのつづきにするつもりだったんですよ。つまり:
 フォーマルハウトや恒星 HR 8799 では外側では巨大惑星までできているのに、原始惑星系円盤が内側に残っている。でも、原始惑星系円盤は、内側のほうが温度が高いし、塵や塵から成長した「微惑星」どうしが衝突する機会も多いから、内側のほうが惑星への成長は速いはずだ。フォーマルハウトや恒星 HR 8799 の周囲では、どうして外側のほうで惑星への成長が速く、内側のほうが成長が遅いという「逆転」が起こっているのか? そこには惑星や惑星系ができる過程の複雑さがあらわれているに違いない!!
――という話になるはずだったのです(まあ、結論は同じになりますけど)。
 でも、そうではないらしい。フォーマルハウトや恒星 HR 8799 の周囲の「塵の円盤」は、原始惑星系円盤の残っているものではなく、惑星系ができかけるところまで行って、「微惑星」とか彗星とかができてから、また衝突などでその「微惑星」や彗星が分解し、また「塵」に戻ってしまったものらしい。それは、同じように「塵の円盤」を持っているがか(画架)座ベータ星のすばる望遠鏡による観測の解説ページに書いてありました。
 http://subarutelescope.org/Pressrelease/2006/04/20/j_index.html
 ……なんか思いっきり予定が狂ったんですけど……。
 でも、惑星ができる途中の段階まで行って、また「塵」に戻ってしまうことがあるのですね。
 『旧約聖書』では、最初の人間アダムは、土の塵に神様の息を吹き込まれたことで生まれたことになっています。だから、その「神様の息」である生命を失うと人間は塵に戻ってしまうわけです。惑星系でも「塵」が「微惑星」ぐらいまで成長する「命」を与えられながら、また塵に戻ってしまうことがあるんですね。うむ、むなしい。何か「諸行無常」な感じを感じます。聖書でいうなら「空の空なるかな」(伝道の書、新共同訳では「コヘレトの言葉」)とか言ったほうがいいのかな。