猫も歩けば...

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「意外な結末」が科学の習い?

 「超対称性粒子は重い(質量が大きい)」という想定は非常に都合がいい。
 宇宙のような大きなスケールでは重力が大きな意味を持ちます。重力は「打ち消し合う力」がなく、「引っぱる力」ばっかりなので、大きくまとまると大きな作用を起こすことになる。「ダークマター」はまさに銀河とか銀河団とかの宇宙的規模で働き、太陽系ぐらいの大きさでは存在がわからないほど影響が小さい物質ですから、都合がいい。
 しかし、重力そのものは弱い(「弱い相互作用」よりさらにずっと弱い)力なので、粒子一個に働く重力というのはほとんど見つけ出すことができない。つまり「重い粒子」なのに、「重さ(質量)を量る」方法では見つけ出せない。だから、電磁相互作用や「弱い相互作用」や「強い相互作用」が働かず、「ただ重いだけの粒子」は容易に見つけ出せない。だから「超対称性」粒子は見つかっていないのだという説明もできます。
 ところで、相対性理論では「物質もエネルギーの一種」なので、たとえば軽い粒子に大きい運動エネルギーを与えたりすると、それは重い粒子に化けることがあります。つまり、加速器などですごいエネルギーを粒子に与えて、粒子どうしをぶつけてやると、「重い粒子」が一瞬だけであっても生成されることがある。じっさいにそうやって普通の状態では存在しない粒子の存在が加速器実験で次々に立証されてきました。では、「超対称性」粒子を加速器実験などで作り出せないかというと、すごく重い質量を持っているのですごいエネルギーを与えなければそれは作り出すことができず、地上の実験装置ではそのエネルギーを与えられないので作り出せないのだ、という説明ができる。
 「超対称性粒子はあるはずだ、しかし見つけ出せない、見つけ出せないのにもそれだけの理由がある」――というのは、なんか都合のいいことを言い張るために駄々をこねて理屈を言っているようにも思えます。「最初から超対称性粒子なんてものは存在しない」ということになれば、その理屈はすべてむだになる。
 でも、見方を変えれば、「見つけ出せない」ことから「超対称性」粒子の性格を絞り込んで行くことができる。重力以外の相互作用をしない、実験では作り出せないほど重い……という性格の絞り込みができるわけで、それに合わない粒子が見つかったとしても、それは「超対称性」粒子ではないということはできる。そういう理屈のつけかたも一つの方法かな、と思います。そういう理屈をこねてあれこれ考えてみることで、もし「やっぱり超対称性はなかった」となったときに、「では、あってもいいはずなのに、なぜないのか?」という理由をより深く理解することもできるでしょう。それは「犯罪が行われた以上、犯人はいるはずだが、犯人は見つけ出せない。ではなぜ見つけ出せないのだろう?」ということから犯人像を絞っていく探偵の方法にも似ているわけです。そして、「そんな犯罪自体が存在しなかった」ということになっても、それはそれで「意外な結末」にはなり得るわけです。実際、探偵小説では「犯罪そのものが存在しなかった」は「意外な犯人」の一つの型になっていますし。
 いや、まあ、探偵小説と違って、科学では「意外な結末」が評価されると決まっているわけではないですけど。でも、19世紀の後ろのほうから、科学は「意外な結末」の連続でここまで来たわけですから、だから、私たちは「意外な結末こそ真実で、凡庸な結末ではまだ真実が隠されたままになっている」という感覚に慣れているのかも知れません。