猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

GirlsLoveFestival Sp3参加します

 直前の告知になってしまい申しわけありません。
 明日、3月18日(日)に、川崎市産業振興会館で開かれるGirlsLoveFestival Sp3のLyceer Lilia Memoireに参加します。
 http://www.lovefes.info/sp3/
 高校生ものはいっぱいあるので、と思って申し込んだら、じつは『冬のスケッチ』一作を除いて品切れ中ということが判明し(「判明」ってほどのこともなく、たんに忘れていただけですが)、本の杜12が終わってから急いで復刊・一部新作追加などして、なんとかしました。
 ということで、18日のおしながきです。

 冬のスケッチ 合唱部の雪菜は、活発で快活だった友だちの夏穂が、急に気むずかしくふさぎ込みがちになってしまったことにとまどっていた。いったい何があったのだろう? そして、そんなころ、雪菜は、冬の図書館で、歳上の女の人から町のイベントのボランティアを頼まれる。雪菜はその頼みを引き受けたが、それがさらに夏穂との関係をこじらせることになってしまう。合唱部少女たちのひと冬の物語。
 美しいともだち バレンタインの日からつきあい始めた美朋(みとも)は、ある秋の夜、突然、別れを告げて去って行った。でも、なぜ? 別れを告げられた輝美は、何があったかを解きほぐすために、美朋との半年間を思い返す。ラクロス同好会の少女と、将棋部の少女の出会いと別れの物語。
 明珠女学館第一高校 春物語 「二月の雪」(『二月の雪の日』改題)…姉の愛が通う明珠女学館第一高校を受験に来た優は、試験前の時間に、姉の住む寮の庭に忍びこみ、そこで凜々しく美しい女子生徒の姿を垣間見る。一方の愛は、自分の高校を受験に来る妹に対してすなおになれないでいた。「友加理のおひなさま」…明珠女学館第一高校の春のイベント「明珠のおひなさま」の司会を頼んでいた同級生がインフルエンザで登校停止に。司会の条件は「一日、着崩れさせずに着物を着ていられる」ということで、生徒会は代役を立てることができない。生徒会長の友加理は、ある解決策を考えつくのだが…。なお、今回の新作部分「プロムナード」は、収録しきれない部分が出てしまいましたので、別冊子でお渡しします。
 枯れ葉と百舌鳥 秋の一日の下校時刻、紗羽(さわ)は、別の高校に通う蘭を待ち伏せする。紗羽には蘭から自分に言ってほしい一言があった…。GirlsLoveFestivalで過去に行われていたペーパーラリー用のペーパーに書いた物語に加えて、「その日」までの紗羽と蘭の思いを綴った「明日あの子に逢えたなら」を書き下ろしました。
 赤いブーツと雪あかり 「枯れ葉と百舌鳥」の続篇。冬、雪の積もる道を、紗羽は文芸部合同誌の編集会議に向かっていた。新調した赤いブーツを蘭に見てもらうのを楽しみにして。しかし、蘭は編集部に入っていて、紗羽にばかり気を向けている余裕もなく…。小説同人誌作りに奮闘する高校生少女たちの物語。
 ワン・ツー・スリー、ワン・ツー・スリー 高校受験の日、瞳は、見知らぬ女子に声をかけられる。声をかけてきたのは美人の子だったが、言ってることは理不尽、しかもその子が鞄につけている編みぐるみがなんとも奇妙なシロモノだった。その思いを、後ろの席の受験生に語ったことで、三人の少女の友情が始まる。

 ということで、よろしくお願いします。

 なお、今回の『美しいともだち』と『明珠女学館第一高校 春物語』の表紙は、印刷会社PICO(プリンティングイン株式会社)様デザインのすばらしい表紙を使わせていただきました。
 https://www.pico-net.com/doujinshi/novel-winter-spring.html
 ありがとうございました。また、奥付に、この表紙デザインについての表記が抜けていることについて、PICO様には深くお詫び申し上げます。

本の杜12に参加しました

 3日に川崎市産業振興会館で開かれた文章系即売会「本の杜12」に参加しました。
 私がサークル参加するイベントはどれも好きなイベントなのですが、このイベントはとくに好きなイベントです。肩の力を抜いて参加できるところが気に入っています。イベント内イベントなどは、飲み物のワゴンサービス以外ほとんどないのですが、そのぶん、イベントのあいだ、自分の好きなように時間が使えます。ただし、今回は、非公式な(というか成り行きで)ミニマジックショーが一部サークルスペースで開かれていました。
 また、参加サークルが少ないことの半面ではあるのですが、一つひとつのサークルをゆっくりと見て回って、サークルの方とお話ししながら本を選べるというのも、このイベントの好きなところです。
 今回は、イベントと、イベント後の打ち上げと、二次会と、それぞれの場で、多くの参加サークルの方々と交流を深めることができました。
 今回は近作二種(COMITIA123の新刊)を持って来るのを忘れるというミスをしました。そのかわり、最近はイベントにあまり持って行かない宮沢賢治作品評論を出したところ、興味を持ってくださる参加者の方が何人かいらっしゃいました。賢治への関心が根強く続いていることを実感しました。
 新刊は『枯れ葉と百舌鳥』で、「枯れ葉と百舌鳥」は改訂した上での二度めの再刊、「明日あの子に逢えたなら」が新作です。「枯れ葉と百舌鳥」は2014年にGirlsLoveFestival12のペーパーラリー用ペーパーのために書いた短編で、そのときには登場人物二人の設定はほとんどありませんでした。それから年月が経つなかでその二人をめぐる設定がいろいろとできてきて、それをもとに「明日あの子に逢えたなら」を書きました。冬の訪れが早い雪国での、冬が訪れる直前の二人の高校生女子のお話です。
 サークル・一般を含めて参加者がとても多いとはいえない即売会ではありましたが、終わってみれば本の頒布数はここしばらくのイベントでは最多でした。
 本の杜の次回開催(本の杜13)は9月22日(土)と発表されています。
 http://ivent-hon-no-mori.com/index.html
 私の勤務は土曜日出勤・休日出勤が多いので、当日に仕事が重ならなければ、なのですが、ぜひサークル参加させていただきたいと思っています。本の杜はとくに好きなイベントなので、無理はしなくていいので長く続けてほしいと願っています。宣伝とか設営とか片付けとか、できるお手伝いはするつもりでいます。
 さて、アトリエそねっとの次回参加イベントは、本の杜12と同じ会場で3月18日(日)に開かれるGirlsLoveFestival Sp3 「Lyceer Lilia Memoire」です。
 https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01574izcd1hq.html
 18日ってずいぶん先だと思っていたら、じつはほとんど余裕がなくて、あせっているところです。まあ、なるようにしかならないんですけど、いろいろとじたばたしてみるつもりです。

COMITIA118に参加します

 告知がぎりぎりになってしまいました。
 10月23日のCOMITIA118にサークル参加します。
 アトリエそねっと O56b です。よろしくお願いします。


 今回の新刊は小説『夏の一日』です。
 『荒磯の姫君』現代篇第三作です。
 『荒磯の姫君』に描かれた江戸時代の宝暦年間(1851〜1864年)の事件は遠い過去のできごととなり、なかでも、お姫様をめぐる物語は人びとのあいだに語り伝えられるだけの伝説と化してしまった。
 その街で、夏のある朝、とつぜん空に黒い煙がわき上がった。憶測が飛び交い、あたりは騒然となるが、それは住宅建設現場での陥没事故で舞い上がった大量の煤とほこりだった。しかし、なぜ地下からそんな煤とほこりが? 事件は、いまだに250年前のできごとをめぐる伝説にとらわれる人びとを引き寄せ、結び合わせ、すれ違わせる……。
 上下2冊で、上巻400円、下巻300円です。ある日の午前9時過ぎから始まって、その日の夜の12時を少し過ぎるまでのあいだのできごとを書いただけなんですが、なぜか合計500ページに達してしまいました。


 『荒磯の姫君』(2013年刊)のできごとは現在まで伝わっていない、ということになっていますので、基本的にネタバレは起こりません。でも、ぜんぜん起こらないかというと、『荒磯の姫君』のカタキ役の悪家老が最後にどうなる、というような話は出て来ますので、それも避けたい方は『荒磯の姫君』からお読みいただければと思います……って3冊あるんだよね(汗)。
 「本の杜10」のアンソロジー『杜の本棚』に寄稿した「史料批判」をもとにしているのですが、設定は一部分変わっています。もともと「本の杜10」記念のために書いていたのですが、間に合わず、「本の杜10」では上巻の途中までを一冊にして無料配布しました。


 同じ『荒磯の姫君』現代篇の第二作『夜風』もお持ちします。こちらも基本的に相互にネタバレは起こりません(これも、登場人物が一部共通しているので、まったく起こらないわけではありませんが)。なお、現代篇第一作『月が昇るまでに』はまだ文庫版の版組み作業中です。
 そのほか、小説『冬のスケッチ』(合唱部の少女の一冬の物語)、小説『シエスタ』(真夏に中学生の少女たちがただだらだらするだけの物語)、宮沢賢治関係の評論集『土地の魔法』、小説『もしも魔法が使えたならば』(魔法のない普通の世界の「魔法少女部」の少女たちの物語)をお持ちします。
 そういえば、今回のコミティアでは、会場内企画として『この世界の片隅に』の片渕須直監督とこうの史代さんの対談が企画されています(聴きに行きたい! けど無理だな…)。『土地の魔法』では、昨年の「イーハトーブアニメフェスティバル」での片渕監督のお話についても触れていますので、よろしかったらぜひご覧ください。

宮沢賢治学会定期大会

 本の杜10ではたいへんお世話になりました。
 さて、9月22〜23日、「宮沢賢治学会イーハトーブセンター」http://www.kenji.gr.jp/index.html の定期大会に行って来ました。
 「宮沢賢治学会イーハトーブセンター」は、「研究者だけの学会」ではなく、賢治にまつわるさまざまな活動を行っておられる花巻市民の方や一般のファンの方も参加し交流するための「センター」でもあるということです。
 今年は仕事の都合で22日の懇親会からの参加でした。今年から授与が始まった「宮沢賢治学会イーハトーブセンター功労賞」の表彰文と賞品がなかなか好評だったようなのですが、私は接することができませんでした。
 これまで、この「学会・センター」は、宮沢賢治賞とイーハトーブ賞という賞を選考してきました(今年も継続)。これは、選考はこの「学会・センター」が行うけれど、授与の主体はあくまで花巻市です。これに対して、功労賞はこの「学会・センター」オリジナルの賞ということで、さまざまな面でより自由がきいたようです。
 今年の大会には、学研マンガジュニア名作シリーズから『銀河鉄道の夜』を発表なさっている木野陽(きの・ひなた)さん http://www.etheric-f.com/ がいらしていました。このマンガは、これまでの研究成果を十分に調べ、花巻でも「ロケハン」を行って書かれたもので、賢治作品のマンガ・絵画化のなかでもクォリティーの高いものだと思っています。木野さんが、研究者、市民、ファンまでが集うこの場で、多くの方と交流されていたのは、この「学会・センター」にとってもたいへん幸いなことだったな、と思っています。
 翌日が研究発表でした。今年は4本の発表があり、とくにメーテルリンクの翻訳と、賢治がそれにどう接したかについての考証は緻密で、多くのことを教えられました。ほかにも、「職業的鳥捕り」の存在、賢治の時代の地質学と作品のなかで使われている用語など、教えられるところがありました。
 一か月足らず前に国際研究大会があり、「今年は国際大会に参加したから定期大会はもういいや」となって、参加者が少ないかな、と思ったら、逆に、懇親会・研究発表とも大入りで、「生誕120年」効果をあらためて感じました。ただ、国際研究大会があったためか、今年の定期大会の研究発表では、外国人研究者(大学院生も)の発表がなく、「国際大会は国際的、定期大会は国内的」になったかな、という感じもありました。
 今後も、この会が、研究者、市民、ファンがいっしょにいろんなことを知り、活動し、交流を深める場であり続けてほしいと願っています。

「本の杜10」に参加します

 またしばらくどこにも告知しないまま即売会に参加するという例が続いていましたが。
 9月18日の「本の杜10」に参加します。A-06「アトリエそねっと」です。http://www.ivent-hon-no-mori.com/list10.html

 今日やっと新刊を入稿してきました。
 『夏の一日』というタイトルで、2011〜2012年に書いた(現在の版は2013年)『荒磯の姫君』の現代篇の第三エピソードです。本の杜アンソロに寄稿した物語を長大化させた物語ですが、さっそく設定がいっぱい変わってしまっています。
 しかも、長大化させたら一冊に治まりきらなくなって、完全版の刊行は10月以後です。
 あと、表紙でPDF入稿するときの設定を間違って、フォントがすべて非埋め込みになってしまいました。作業に使うマシンを移行したときに設定を変えなければいけなかったのに、前の設定をそのまま流用したからと判明……。文字化けとかはしないと思いますが、なんか、「普通のゴシックと普通の明朝」みたいな表紙になります。
 ……いろいろすみません。

 『荒磯の姫君』現代篇の第一エピソードは『月が昇るまでに』で、久しく品切れ状態、第二エピソードは今年5月の『夜風』です。『夜風』のあとがきで『月が昇るまでに』は再刊しますと書いたのですが、これも停頓中(DTPを最初からやり直しているので……)。こちらもすみません。

 ほか、文フリ岩手で頒布した宮沢賢治作品評論というか花巻旅行記『土地の魔法』(2015年に少部数刊行した文章に一篇追加)、同じく花巻のマルカン百貨店大食堂再開(運営継続)チャレンジを追った『マルカン百貨店閉店! 第三版』(ただし5月の動向までしか載っていません。ちなみにマルカン大食堂再開プロジェクトは成功、現在実際の再開に向けて進行中です)、夏に再刊した『冬のスケッチ』(う〜む季節がぜんぜん合ってない)などもお持ちします。

 よろしくお願いします。

COMITIA116参加します

 去年の8月から放置してた……。申しわけないです。

 というわけで、あす5月5日の COMITIA116 参加します。
 S25a 「アトリエそねっと」です。
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 【新刊1】
 『夜風』
 瑠姫(るき)は、中学校のときの友だち幸織(さちお)の招きで、10年以上前に離れた生まれ故郷を訪れる。リゾート施設の撤退とともに寂れ果てた海辺の村、行方のわからない友だち、無邪気な元気少女だった幸織も大きく変わっていた。そして、思いもかけない出会いが、瑠姫の知らなかった村の秘密を明らかにする……。
 『荒磯の姫君』現代篇その2。

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 「現代篇その1」は『月が昇るまでに』で、今回の本には「夏には再刊」などと書いたのですが、例によってまた暗雲が……。ともかく、現役中学生の物語だった『月が昇るまでに』に対して、こちらは、社会人になって数年の女性たちが、中学生だったころを思い返す、という物語です。
 『月が昇るまでに』と同様、読むと『荒磯の姫君』の結末部分の一部がネタバレしてしまうという……なんかうまくない商売してるな。でも、バレるのは一部ですので(汗)。
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 【新刊2】
 『新版・マルカン百貨店閉店!』
 岩手県花巻市の老舗百貨店「マルカン百貨店」が6月7日をもって閉店する。マルカン百貨店は、「昭和」の雰囲気を残し、花巻市内を一望できる6階の「展望大食堂」で親しまれてきた。「ナポリカツ」や高さ25センチの巨大ソフトクリームなどの名物メニューはもう食べられなくなってしまうのか?
 ……という思いから制作した初版の後、花巻駅周辺の活性化に取り組む企業「花巻家守舎(はなまきやもりしゃ)」によるマルカン百貨店事業引き継ぎ計画が動き出した(実際には初版を作っている途中で動きが始まっていたようです)。この展開を踏まえ、20世紀前半に花巻に生きた宮沢賢治や、「東北ずん子運動」にも思いを馳せつつ、あらためてマルカン百貨店存続について論じる。

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 宮沢賢治についてはもしかすると「世捨て人」のようなイメージをお持ちかも知れません。また、賢治は、自分自身の生活設計や人生設計については、かなり不器用だった人だと思います。けれども、岡村民夫さんの『イーハトーブ温泉学』などによれば、賢治は地元花巻の発展については意欲的な構想を立て、自分自身もそれに参画しようと動いたひとでもあったようです。意欲的に「古着屋兼質屋」の家業拡大を図った父の政次郎に賢治は反発したのですが、にもかかわらず、親子共通に受け継がれた「花巻の気風」とは? そして、その「気風」はいまも花巻に根づいているのか?
 ……というようなエッセイです。

 よろしくお願いします。

「銀河鉄道の夜」のりんご(続き)

 りんごが登場する神話として私が思いつくのは「パリスの審判」のエピソードで:

 ヘラ(主神ゼウスの妃、ヘーラー、英語で言うジュノーにあたる)、アテナ(知恵の女神、アテーナー、ミネルヴァにあたる)、アフロディテ(美の女神、アプロディーテー、ヴィーナスにあたる)が招かれた婚礼に招かれなかった不和の女神エリスは、その婚礼の席に「最も美しい者へ」と書いたりんごを投げこんだ。そこでヘラとアテナとアフロディテとがそれぞれ「自分がいちばん美しい」とかいうことを言い出したために大混乱になり、この混乱が人間界にトロイア戦争という大戦争を巻き起こす。
 というか、結婚式なんだから花嫁にやれよ、それ。
 花嫁に渡しておけば、
「わあ嬉しい! わたしがいちばん美しいだって! エリスさん招かなかったけど、それでも祝福してくれたんだ」
とかいうことになって、そのいやがらせは無効になったのに。
 このとき結婚式を挙げていた花嫁がテティスという女神さまで、その息子がアキレウス、つまりアキレスで、このトロイア戦争で唯一の弱点である「アキレス腱」のところを攻撃されて戦死しています。また、エリスさんは、この活躍のおかげで、ずっと後に「人間界に論争を引き起こした」ということで「はじめて発見された冥王星より大きい惑星らしい天体」に名まえをつけられてしまうことになります。前に婚礼の仲間に招いてもらえなかったエリスさんは、今度は惑星の仲間に入れてもらえなかったわけです。ま、今回は、冥王星を道連れにしたし、マケマケとかハウメアとか仲間もいるので、一人だけのけ者ではないですが。
 どうやら「黄金の林檎」の神話はこれだけではなく、いろいろとあるようです。
 黄金の林檎 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%87%91%E3%81%AE%E6%9E%97%E6%AA%8E
 ここにも出てきますけれど、いわゆるアイルランドケルトの神話では、りんごは豚と並んで「豊饒・多産の象徴」です(「アイルランドケルト」という括りがいいかどうかという話はここでは省略します)。「豚とりんご」というのがなんかミスマッチのような。でも、賢治には「フランドン農学校の豚」という作品がありますし(いちおう岩手名産「白金豚」の名まえの由来です)、「巨豚」という詩もあります。りんごもここだけでなく出てくるので、関係はあるかも知れません。
 「賢治とケルト」というテーマはこれまでも意識されてきましたし、じっさい、賢治作品と「ケルト」の神話には「りんご」に限らずさまざまに興味深い類似点や並行関係があるのではないかと思います。「ケルト」には異界訪問物語や異界との交流物語が多く、異界訪問物語である「銀河鉄道の夜」自体、「ケルト神話的」と言うこともできるかも知れません。ただ、私がこれまで接した範囲では、賢治作品と「ケルト」の両方に本格的に詳しい人による議論にはまだめぐりあっていません。
 それより、賢治で「りんご」というと、『春と修羅』(第一集)に長い詩「青森挽歌」があり:
 こんなやみよののはらのなかをゆくときは
 客車のまどはみんな水族館の窓になる
    (乾いたでんしんばしらの列が
     せはしく遷ってゐるらしい
     きしゃは銀河系の玲瓏レンズ
     巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる)
 りんごのなかをはしってゐる
 …(中略)…
 巻積雲のはらわたまで
 月のあかりはしみわたり
 それはあやしい螢光板になって
 いよいよあやしい苹果の匂を發散し
 なめらかにつめたい窓硝子さへ越えてくる
 青森だからといふのではなく
 大てい月がこんなやうな暁ちかく
 巻積雲にはいるとき……
とあります。この詩は、この少し前(前年の11月)になくなった賢治の最愛の妹とし子(トシ)を思い出しつつ作られた詩で、北へ走っているはずなのに南へ走る汽車(銀河鉄道はくちょう座北十字附近から南十字の先までの南行きです)、孔雀、そして「死者は停車場を通って行く」という発想など、「銀河鉄道の夜」と共通する要素を多く含んでいます。ここにこんな感じで「りんご」が出てくるのですね。
 なお、「銀河鉄道の夜」でも、「りんご」が出てくるのはこの場所が最初ではなく、祭りの晩の街で出会ってしまったいじめっ子ども(ここではカムパネルラはこの連中といっしょにいる)からからかわれて「天気輪の柱」の丘に駆け上ったところで、汽車の音をきき:
 その小さな列車の窓は一列小さく赤く見え、その中にはたくさんの旅人が、苹果を剥いたり、わらったり、いろいろな風にしてゐると考へますと、ジョバンニは、もう何とも云へずかなしくなって、また眼をそらに挙げました。
と出てきます。
 遠くに汽車の音をきくという場面は童話「二十六夜」ほかの作品にもあります。私は、夜の花巻の北上川沿い、ちょうど「羅須地人協会」のあったあたり(現在保存されている場所ではない。現在の「賢治詩碑」のところ)を歩いていて、思いもかけず東北本線の列車の音を聞き、「あ、ほんとに聞こえるんだ!」と強い印象を受けたことがあります。賢治がこのあたりにいた当時は夜の騒音がもっと少なかったでしょうし、岩手軽便鉄道の線路も賢治の生家(羅須地人協会とは離れている)に近いところを通っていたので、もっとよく聞こえたことでしょう。また、列車に出会ってその窓の明るさに印象を受ける(たぶんさびしくなったり悲しくなったりしたのだろう)という作品はごく初期の短歌にあります。
 でも、ジョバンニが列車の窓を見るとどうして「もう何とも云へずかなしく」なるのか、というのも、線路を見下ろせる場所に一人で立って電車が走っていくのを見ていればなんとなくわかるといえばわかるんですが、でも、あらために「なぜなの?」ときくと……どうなんでしょう?
 それと「りんご」の結びつきは、いったい何なのか、ですね。
 これは、たとえば、当時の列車に乗るときに、りんごを持って乗るのがあたりまえだったか、それとも、実際にはそんなことをする人は少なかったのか、というところでも変わってくると思います。こういうのって調べた人はいるのかな?

 また長くなりましたので、次に続けたいと思います。