猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

谷口義明『暗黒宇宙の謎』(講談社ブルーバックス、isbn:4062574969)


 闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。
 「光あれ。」
 こうして光があった。
 「闇」は世界の最初にあり、あとから「光」の時代が始まる……のだが、私たちが関心を持つ世界は「光」が存在し始めてからあとの世界である。でも、「闇」とは、たんに「光がない」というだけの存在に過ぎないのか? 「光」が存在し始める前の「闇」、または、「光」から区別された「闇」にも、何か語るべき動きがあったのではないか。それも、「光」の世界に負けないぐらいたくさん。
 というわけで、ATOKが「あんこ空中の謎」と変換してくれたタイトルの本である。そりゃあんこが空中に浮いてたら謎だろうけど。ちなみにIMEは「暗黒宇宙のなぞ」と変換した。一般的に言うと私はATOKのほうが変換センスがいいと思ってるんだけど、ときどきひねりすぎた変換を見せてくれるんだよね。
 宇宙は、ビッグバンで誕生したあと、ずっと膨張している。最初はビッグバン以来の勢いが落ちてきて膨張速度が落ちていたが、60億年ぐらい経ってから(いまから70億年あまり前に)膨張が再び加速し始めたという観測結果が出た。なんでいったん落ちついたものがまたふくらみ始めるんだ?――というようなことがあって、私たちの宇宙は、光で見える物質4パーセント、「ダークマター」23パーセント、「ダークエネルギー」73パーセントでできているという説が、現在、もっともらしくなっている。
 そこで、ハワイにある国立天文台すばる望遠鏡の観測所で活躍していたこともある研究者が、宇宙の「ダーク」とは何かという視点で書き下ろしたのがこの本である。
 「ダーク」というのは、「暗黒」というのとちょっと違って、「見えない」と解釈したほうがよさそうだ。「暗黒星雲」とかは光を遮ってしまうので「暗黒」に見えるのだけど、「ダークマター」が存在すると宇宙が暗黒になってしまうというわけではない。逆に「ダークマター」は存在しても光を全部通してしまうので見えない。だから「暗黒物質」というよりは「透明物質」なんだよね。「ダークエネルギー」も、「暗黒エネルギー」とかいうと、いかにも「暗黒エネルギー」の力を借りて大きい仕事ができそうな頼もしい存在(?!)に見えるけど、じつは「透明エネルギー」なので、正義の味方も悪の味方も少しも手助けしてくれない。すごいエネルギーなのに、私たちには何の役にも立ってくれないのである。
 というわけで、この本では、「ダーク」を「暗くてよく見えないもの」、「電磁波の特定の波長(普通の光=可視光、紫外線、赤外線、電波、エックス線、ガンマ線など)では見えないもの(つまりほかの波長でなら見えるもの)」、「隠されていて見えないもの」、「透明で見えないもの」、「光る物質が何もないので見えないもの」に分けて論じている。
 あまり光を放たない褐色矮星、自分では光らない惑星・彗星・小惑星などの天体、白色矮星中性子星ブラックホールなどの星の残骸、暗黒星雲とかほこりまみれで光が隠れてしまう暗黒銀河とか、ほかの天体の光を隠すことで存在が知られる銀河間空間のガス雲、そして、ダークマターダークエネルギー、最後に「光る物質が何もないので何も見えない」時期の宇宙が採り上げられる。暗黒銀河までが「光を遮るのでよく見えない」という「ダーク」、銀河間空間のガス雲からあとが「透明なので(または最初から何もないので)何も見えない」という「ダーク」である。
 星雲とか銀河とかいうものでも、ほこり(ダスト)がいっぱいあると薄汚れて見えなくなってしまうというのが何かおもしろかった。そういう意味では私の部屋なんかもどんどん「ダーク」になりつつある。見えなくはならないけど。あと、「暗黒の星」というのは「不思議な言葉」だと著者は書いているけれど、たしか江戸川乱歩明智小五郎ものに「暗黒星」という小説があったと思うぞ。
 「暗黒」を語っていくことで、宇宙の始まりとか、星の一生とか、宇宙の大規模構造とか、太陽系の構造とかいう話が順番に語られていくのが、わかりやすかったし、読みやすかった。「光」サイドから語るとなんか堅苦しく感じるのが、「闇」サイドから順繰りに語っていくとわかりやすいというのもおもしろいなぁと思う。
 この本を買った目的は、私のばあいはやっぱり「ダークマター」と「ダークエネルギー」の「正体」を知りたいというところにあった。「ダークマター」のほうは候補になりそうなものがたくさん挙がっている。いっぽう、「ダークエネルギー」の正体については「真空のエネルギーではないか」と触れているだけで、あとは宇宙膨張をめぐる理論と観測の話だった。ただ、ダークマターの候補だけでも、「私たちの知らない粒子としてこんなのがある可能性がありますよ」というのがたくさん挙がっていて、なんかけっこうわくわくする。しかも、ダークマターダークエネルギーは重力に引っかかってくれるのでまだしもなんとか存在していることがわかるわけだが、重力にすら関わろうとしない存在がもし存在したらどうなんだろう?
 いや〜、宇宙でも「見えないところ」でいろんなものがうごめき、そして「見えないところ」の存在が気づかないところで私たちを支えてくれているんだね。もしかすると、光を放ったり光が当たったりしているところにだけ注目して組み立てた説明では、いろんなものを見落としてしまうのかも知れないと思った。
 もしかして、私たちが「闇」とひとまとめにしてとらえているものも、ひとつの「闇」ではないのかも知れない。私たちの知っている「光」以外に、私たちがどうやっても捉えきれない「光」が別にあって、それで見ると私たちの見る「闇」が「光」の世界に見え、逆にその世界からは私たちの世界が「闇」に紛れてしまう。私たちの世界の「光」は光子が媒介しているのだが、光子ではない未知の粒子が媒介している別の「光」があるかも知れない。私たちの世界に普通に存在する光子は、同じ場所に二重に存在することのできるボース粒子だけど、「超対称性」理論によると、同じ場所に重なれることのできないフェルミ粒子の光子も存在するらしい。「超対称性」理論によれば、逆に、私たちの世界に普通に存在するフェルミ粒子に対応するボース粒子も存在して、それが媒介する「光」もあるかも知れない。宇宙にはそういう幾種類もの「光」がじつは存在していて、だから「どの光に対する闇か」というのを考えなければいけないのかも知れない。
 でも、天文学のばあい、とりあえず私たちの知っている光(電波その他を含む「電磁波」)以外に観測方法がない。宇宙の重力を直接に捉えようという試みはあるけれど、いまのところ、宇宙の重力現象も電磁波で把握しているのが現状だ。光でしか世界を見ることができないのに、光で見える世界は、もしぜんぶ見えたとしても全体の25分の1に過ぎない。それでも「宇宙全体」を知ることをあきらめないのが天文学なんだな。
 なんか、宮台真司が「世界のすべてを知で知ることは不可能と知りつつ、それでも全体を目指す」とか言っていたのを思い出す。う〜む。
 ところで、ゆりえ様が「か〜み〜ちゅ!」と唱えるたびに宇宙が一個ずつ増えていくというのはどうだろう? ゆりえ様がきけば、指をくわえて「う〜ん」としばらく考えたあと、「いいかも」と言うに違いない――などと妄想ちゅー。