猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

益川敏英さんの訃報に接して

 『中先代の乱』(中公新書)についての感想の「連載」の途中ですが、益川敏英さんの訃報に接しましたので、益川さんのことについて書きたいと思います。
 もっとも、益川さんの社会活動については私はよくわからないので、その物理学上の功績のお話が中心です。といっても私は物理学がよくわからないので、私が理解しようとして理解できた範囲での話です。その点はご容赦ください。

 なぜ宇宙が存在しているのか?
 もうちょっと言うと、なぜ「物質のある宇宙」が存在しているのか?
 益川さんは、小林誠さんとともにこの謎を解く鍵となる「小林‐益川理論」を発表されました。このことが評価されて、ノーベル物理学賞を受賞されました。

 「物質がある宇宙」って、宇宙に物質があるのはあたりまえじゃないの?
 何がふしぎなのでしょう?

 「神様が宇宙をお創りになった」という説明が科学的な説明として認められなくなったあと、「ではなぜ宇宙は存在するのか?」という問いがありました。それに対して、ビッグバン理論が出され、それを支えるさまざまな理論が提出されて、「宇宙はなぜ存在するのか?」の説明はできるようになりました(中世史のことを書いていると「かみ」と書くと先に「守」と変換されるようになってしまう。うーむ)。
 ところが、「なぜ物質がある宇宙が存在するのか?」という謎が、20世紀になって生まれてきました。

 20世紀の「困った発見」(科学者たちを困らせる発見)の一つに、「反物質の発見」というものがあります。
 ある物質があれば、それとはある性質だけが(詳しく言うと電荷だけが)まったく逆で、ほかはまったく同じという物質が必ず存在する。それを反物質といいます。
 そして、同じ種類の物質と反物質が出会うと消滅してエネルギーになってしまう。
 エネルギーから物質ができるときにも同じことが起こります。エネルギーが一点にたくさん集中するとそのエネルギーが化けて物質を生み出すのですが、そのとき、物質と反物質を必ず同じだけ生み出すのです。
 このどちらのプロセスも実験で起こすことができるので、理論がまちがっていないことは証明されています。

 で。
 ビッグバン理論によると、この宇宙は想像を絶するエネルギーのかたまりとして生まれました。つまり、この広い宇宙に広がっている全エネルギーが一点に集中していたのですから、それはもう、ことばで表現できるのをはるかに超えるような(と、ことばで表現していますが、まあそれはいいとして)大量のエネルギーだったのです。
 宇宙はエネルギーのかたまりとして生まれたわけですから、そこから物質ができるとしたら、「エネルギーから物質と反物質が同じだけ生まれる」という法則に従えば、宇宙には物質と反物質が同じ分量だけできることになる。
 物質と反物質は出会うと消滅してエネルギーに戻ってしまいます。しかも、物質と反物質はほうっておいても引っ張り合うので、自分からすぐにくっついてエネルギーに戻る。
 ということは、宇宙の中には物質と反物質が同じ量だけあるのだから、宇宙の中の物質はやがて反物質と結びついてエネルギーに戻ってしまい、宇宙にはエネルギーしか存在しないことになってしまう。

 ところが、いま、宇宙には物質がいっぱい存在する。私たちの身の回りの「もの」も、私たち自身も、地球も、太陽もほかの惑星も、それどころか、望遠鏡でごくかすかに見える遠い「銀河」も、基本的に物質だけでできている。
 反物質は存在しません。
 それはそうで、反物質が身のまわりに普通に存在したら、20世紀より前に人類はその存在に気づいていたはずです。しかし、20世紀になって、理論的に「こういうものがあるはずだ」と言われるまで、だれもそんなものの存在は知らなかった。

 電子とかの小さい粒子については、エネルギー反応の結果、たまに「電子の反物質」(「陽電子」といいます)が生まれます。しかし、それは、すぐに電子と結びついてエネルギーに戻ってしまいます(ちなみに「電子の反物質」が近くの電子と結びついて消滅してエネルギーになる反応を利用して人体の中を探ろうという診断法が「PET」と呼ばれる診断法です)。

 物質だけでできた宇宙が存在するという現実がある。
 「エネルギーからは物質と反物質が同じ量だけ生まれ、その物質と反物質は出会うと消滅してエネルギーになる」という理論がある。そして、実験装置で実験してみると、そのとおりの現象が起こる。つまり、エネルギーからは同じ量の物質と反物質が生まれ、それはやがて出会って消滅してエネルギーに戻ってしまうという現実がある。
 矛盾します。
 その矛盾をどう解決するか?

 その矛盾を説明するための理論の一つが「小林‐益川理論」です。

 私たちの世界は物質でできていて、その物質というものは、さまざまな種類の原子核が電子によって何種類かの結びつけかたで結びつけられてできています(「見えない物質」であるダークマターというものはそれとは違うできかたをしているようですが、それについてはここでは触れないことにします)。
 その原子核は、プラスの電気(電荷)を帯びた陽子(ようし)と、電気を帯びていない中性子とが寄り集まってできています。
 ところが、人類が原子爆弾を生み出した第二次世界大戦の前後、原子核を構成する粒子についての研究が進みました。「原子爆弾」といい、「原子力」といっても、そのエネルギーは原子核のものです(だから「核爆弾」とか「核エネルギー」とか言う)。だから、人類が原子核からエネルギーを取り出そうとした時代には、原子核の研究が進んだわけですね。

 で、そういうことを調べていると、陽子と中性子のほかにも「原子核を構成する粒子の仲間」が存在することがわかりました。陽子や中性子に似たものもありましたが、陽子や中性子とは違う「奇妙な」性質を持っている粒子も存在していることがわかりました。そういう、「奇妙な」粒子、または「新奇な」粒子はストレンジ粒子と名づけられました……って英語ではそのまんま。
 で、その奇妙な粒子は、ほうっておくと陽子や中性子に化けてしまって「奇妙」さを失ってしまいます。この変化に何か法則性がないか、ということで、その法則性を説明しようとイタリアの物理学者カビボが「カビボ角」の理論というのを編み出しました。

 この「角」というのは、グラフにしたときの直線の傾きの角度のこと、と、とりあえず説明していいかと思います。確率をその直線の傾きで表現するわけですね。
 一枚のメダルを投げて、表が出るか裏が出るか、という実験をする。
 表が出る確率が2分の1だったとしたら、傾きが2分の1の直線は傾きの角度が45度なので、この「確率の角」は45度いうことになります。100回投げて37回が表ならば、表になる「確率の角」はだいたい30度になりますし、100回投げて63回が表ならば、表になる「確率の角」はだいたい60度になります。100回投げて100回表ならば90度です。
 とても単純化して言うと、「奇妙な粒子」(ストレンジ粒子)が陽子や中性子から生まれたり、逆に「奇妙な粒子」が陽子や中性子になったり、という反応の確率を、この角度で表現する理論がカビボ角の理論です。
 もちろん「グラフの傾きを角度で表現しよう」というだけならべつに素粒子物理学者でなくても考えつくのですが、その方法を使って「奇妙な粒子」の性質の説明に成功したのがカビボの功績だったわけです。

 さて、そうこうするうちに、原子核の研究がさらに進んで、クォーク説というのが出てきました。
 当時の技術では、原子核をどんなに破壊しても陽子と中性子以上には分解できませんでした。
 しかし、陽子は「アップ」という性質(「アイソスピン」という種類の性質です)を担う粒子2つと「ダウン」という性質を担う粒子1つでできている。中性子は「アップ」を担う粒子1つと「ダウン」を担う粒子2つでできている。そう考えると、陽子と中性子の性質を、陽子と中性子以外の「原子核を構成する粒子の仲間」と統一的に把握できるのではないか、という説が提唱されたのです。
 この、陽子や中性子やそれ以外を構成する粒子を何と呼ぶかでひと悶着どころかいくつも悶着があり、最終的に、アイルランドのとても難解な現代小説(『フィネガンズ・ウェイク』)から「クォーク」という名がつけられました。クォークということばを使えば、陽子は「アップクォーク2つとダウンクォーク1つ」、中性子は「アップクォーク1つとダウンクォーク2つ」でできている、ということになります。共通の素材でできているけど、その素材の比率が違うんだ、ということですね。
 こう考えることの利点は「奇妙な」粒子の説明もできることです。その「奇妙さ」を担うクォークというのがあって、それが入っていれば「奇妙な」粒子(ストレンジ粒子)になる、ということで説明がついた。その「奇妙さ」を担うクォークはストレンジクォークと名づけられました。やっぱりそのまんま。

 そして、クォーク説を採用すれば、カビボ角の理論はより明快に説明できるようになった。
 ストレンジクォークは電子一個分のマイナスの電気(電荷)を放出してアップクォークに変化することができます。アップクォークも、電子一個分のプラスの電気(電荷)を放出してストレンジクォークに変わることができる。ここで、ストレンジクォークからアップクォークに変わる確率が、アップクォークからストレンジクォークに変わる確率より圧倒的に大きいから、世のなかには「奇妙な」粒子はほとんど存在せず、アップクォークダウンクォークからできた陽子と中性子ばっかりが普通に存在するんだ。カビボ角の理論を使えば、その説明ができたのですね。

 ところで、ストレンジクォークは性質がダウンクォークと似ていて、ある面でダウンクォークの仲間であると考えることができます。ところがアップクォークと共通する性質を持っている仲間のクォークはほかに存在しないと、そのころは考えられていました。
 ダウンクォークにはストレンジクォークというお仲間が存在するのに、アップクォークには存在しない。
 釣り合ってないじゃん?
 釣り合ってないとなんか気もち悪いじゃん?

 それ以前に、不都合な問題がありました。
 ストレンジクォークアップクォークに(電子一個分のマイナスの電気を放出して)変化することができる。アップクォークは(電子一個分のプラスの電気を放出して)ストレンジクォークに変化することができる。
 アップクォークからダウンクォークへ、ダウンクォークからアップクォークへという変化も同じように起こります。アップクォークが電子一個分のプラスの電気を放出してダウンクォークになる。ダウンクォークが電子一個分のマイナスの電気を放出してアップクォークになる。そういう変化です。
 これは、中性子が陽子に変化してマイナスの電気を帯びた放射線ベータ線)を放出する、陽子が中性子に変化してプラスの電気を帯びた放射線を放出するという、クォーク説が提唱される以前から知られていた現象(「ベータ崩壊」といいます)の説明になっていました。
 「放射能」が問題になるとき、多く問題になるのがこのベータ崩壊です(それ以外もありますけど)。

 アップクォークには、変化する先の選択肢が、ダウンクォークアップクォークの二つがある。そのどっちに変化するかの確率をカビボ角理論が説明したわけです。
 ところが。
 こうなると、ダウンクォークがストレンジクォークに変化する、ストレンジクォークダウンクォークに変化する、という変化が起こってよさそうなものです。むしろ、電子一個分のプラスの電気とかマイナスの電気とか、そういうのを放出する「手間」がないだけ、かんたんに移り変わってよさそうなものです。
 電気の量(電荷)が変化すると、その変化するぶんは高エネルギーの放射線として放出されるので、放射線を打ち出すエネルギーが必要になります。電気の量(電荷)が変化しないダウンクォークとストレンジクォークの移り変わりは、その放射線打ち出しのエネルギーがいらないはずなので、もっとラクに行えるはずです。ラクに行えるはずの変化はもっと頻繁に起こるはず。
 ところが、それが起こっているところは観測できない。

 これを説明するために、仮説が立てられました。
 ストレンジクォークダウンクォークもいつも移り変わっているのだが、ストレンジからダウンへの移り変わりと、ダウンからストレンジへの移り変わりがいつも厳密に同じ率で起こっているので、観測で見つけることはできないんだ、という説です。
 ところが、こうするとまた問題が出てきます。それは、アップクォークにはそういう「ラクな移り変わり」モードが存在しない、という問題です。
 世のなかには、ストレンジクォークはほとんど存在せず、アップクォークダウンクォークがほぼ同じ量存在しています。クォークそのものは観測できないけど、この世のなかの原子核には陽子と中性子がだいたい同じ数(もちろん原子核によって差はあります)入っている。陽子はアップ×2とダウン×1、中性子はアップ×1とダウン×2なので、陽子一個と中性子一個を合わせるとアップ×3とダウン×3になって同じ数になる。世のなかにアップクォークダウンクォークがだいたい同じ数だけ存在しているから、陽子と中性子がだいたい同じ数だけ存在している。
 ところが、ダウンクォークだけが「ラクな移り変わり」モードを持っていると、アップクォークダウンクォークのバランスが崩れて、世のなかにアップクォークダウンクォークがほとんど同じ量だけ存在している、という説明がつかなくなってしまうのです。

 そこで「アップクォークにお仲間が存在しないのは釣り合いが悪い」問題が登場します。じつはそれは存在するのでは? もし存在するとしたら、アップクォークからその「お仲間」への移り変わりと、「お仲間」からアップクォークへの移り変わりがいつも厳密に同じ率で起こっている、ということで、ダウンクォークと条件がそろいます。アップクォークダウンクォークの数がだいたいバランスしている、ということの説明がつくようになります(こんな説明で許してください)。
 つまり4つめのクォークがあるはずだ、それは未発見なだけだ、というわけです。

 ところで。
 クォークにも反物質(反クォーク)が存在します。それも、クォーク一種類ごとに反クォークが一種類存在します。アップクォークには反アップクォークが、ダウンクォークには反ダウンクォークが、ストレンジクォークには反ストレンジクォークが、反物質として存在するのです。
 で。
 ストレンジクォークと反ダウンクォークが結びついて「中性K中間子」という粒子を作ることがあります。「中性K中間子」は、ダウンクォークと反ストレンジクォークでも作られます(「反」がストレンジとダウンのどっちについているかが違う)。つまり、「中性K中間子」には二通りあるのですが、観測しても、「中性K中間子」がどちらの構成でできているかは判別できません。
 で、ストレンジクォークは電子一個分のマイナスの電気(電荷)を放出してアップクォークに変化します。反ストレンジクォークは電子一個分のプラスの電気を放出して反アップクォークに変化します。クォークの構成が変わると「中性K中間子」ではいられなくなりますから、「中性K中間子」は、「ストレンジクォークと反ダウンクォーク」という構成のものも、「ダウンクォークと反ストレンジクォーク」という構成のものも、一定の時間で「中性K中間子」ではなくなってしまうはずです。
 そして。
 物質と反物質の性質が、ある性質(電荷)だけを除いて同じであるならば、ストレンジクォークが(マイナスの電気を放出して)アップクォークに変化するのと、反ストレンジクォークが(プラスの電気を放出して)反アップクォークに変化するのとでは、時間はまったく同じになるはずです。
 ところが、「中性K中間子」の変化を観察すると、「ストレンジクォークアップクォークに変化する」のと、「反ストレンジクォークが反アップクォークに変化する」のとでは時間が違う、ということがわかってきました(これもこんな説明で許してください)。時間が違う、ということは、変化のしやすさが違う、ということですから、「物質の粒子と、反物質の粒子とでは、変化のしやすさが違う」ということになります。
 つまり、ここから、「物質の粒子のほうが変化しにくい」ということが言えれば、この宇宙が物質だけでできている説明が可能になります。

 この、「中性K中間子」で明らかになった「物質の変化のしやすさと反物質の変化のしやすさには差がある」という現象を、「アップクォークにも、ダウンクォークにとってのストレンジクォークに相当する「お仲間」があるのでは?」という説と結びつけて説明できないか?
 この説に基づいて考えたのが、小林誠さんと益川敏英さんでした。
 どうやって考えるかというと、カビボ角の理論をもとに考えるわけです。しかし、考えなければならないことはずっと複雑でした。カビボ角のばあいは二つの種類の粒子だけを考えるので、平面にグラフを書いてみたとしたらその角度は、という考えで理論化できます。しかし、「まだ見つかっていないけれど存在するはずのアップクォークのお仲間」が存在するとすれば、変化する先が増えるので、角度でたとえるとしても「三次元の角」というのを考えなければならなくなります。
 そして、この説に基づいて計算して見ても、どうしても計算は合わなかった。
 それで、行き詰まっているときに、「未発見のクォークが1種類ではなく、3種類あれば、理論は完成するのでは?」と思いついたのが益川さんだったということです。いま確かめられないのですが、お風呂に入っていて思いついて、それを電話で小林さんに伝えた、というような逸話があったように記憶しています。
 こうなると、四次元の角というのを考えなければいけないので、計算がめちゃくちゃ難しくなります。
 ちなみに、高校で「行列」(行列式)というのを習って、「数字と変数をカッコに入れて書きかた変えただけじゃん! なんでこんなのを勉強しなきゃいけないんだよ?」と思っている高校生、受験生の方!
 ここで小林さんと益川さんがやった計算は行列式がないとできないのです(なくてもできるかも知れないけどめちゃくちゃややこしくなる)。
 つまり、行列というのは、大学で物理学をやる上では必須なので。
 理系で進学するなら、大学に入るまでにちゃんと身につけましょう。
 (とか理系がわからない人間が書いても説得力ないよなぁ……)。

 で、「未発見のクォークが3種類」でやってみると、計算が成り立ち、しかも、物質の粒子と反物質の粒子で変化の率が違うという説明も成立した。これを説明する式をカビボ‐小林‐益川行列(CKM行列)という行列式で、この理論を「小林‐益川理論」といいます。
 またちなみに、この「変化の率が違う」ということの説明には「虚数」というものが関わってきます。そこで。
 「なんで実際に存在しない虚数なんてものを勉強しなきゃいけないんだよ?」と思っている高校生・受験生の方!
 虚数はこういうところで使うので、大学に入るまでにちゃんと身につけましょう(ノーベル賞級の研究だけではなく、もっと初歩の電磁力学とかでも使いますよ)。

 まだ「アップクォークのお仲間があるはずだけど見つからない」と言っていた時期で、「アップクォークのお仲間があと2種類、ダウンクォークとストレンジクォークのお仲間もあと1種類、見つかっていないけど、存在するはず」という前提で作られたのが小林‐益川理論でした。
 これを提唱するのは勇気が要ったと思います。
 だいたいクォークモデルすらまだ十分に信頼されていないという時期だったのです。

 まもなくアップクォークの「お仲間」は発見されました。チャームクォークといいます。ストレンジクォーク「奇妙な」とペアを組むので「魅惑的な」・「魔法の」ですね。
 しかし、アップクォークの「お仲間」が1種類あるはず、という理論は、小林‐益川理論より前からあったので、これだけでは小林‐益川理論が証明されたとは言えません。
 そのあと、「ダウンクォークとストレンジクォークのもう一種類のお仲間」も発見され、一挙に小林‐益川理論が成り立つ可能性が上がりました。このクォークはボトムクォークと呼ばれています。あと一種類、アップとチャームのもう一種類のお仲間の発見は1990年代までずれ込みましたが、無事に発見され、トップクォークと名づけられました(というか、トップクォークという名のほうが先にありました)。
 これで、小林‐益川理論の「クォークは6種類ある」という説は証明されたのですが、「クォークが6種類あれば、物質の粒子と反物質の粒子で変化の率が違うという現象が発生する」というところはまだ証明されていません。
 「中性K中間子」の崩壊は説明できますが、もともとそれを説明するために作った理論なので、それが説明できるのはあたりまえです。
 しかし、別の現象の説明ができ、その「別の現象」からも「物質の粒子と反物質の粒子で変化の率が違う」ということが同じように言えるならば、小林‐益川理論は正しい、ということが言えるようになります。その検証には、ダウンクォークと反ボトムクォーク、またはボトムクォークと反ダウンクォークでできている「中性B中間子」が使われました。
 この実験のために、筑波の実験施設で、中性B中間子を大量に生成しました(同じ種類の粒子を工場のように大量生産するのでこの実験施設を「Bファクトリー」といいます)。
 中性B中間子も「ダウンクォークと反ボトムクォークでできているもの」と「ボトムクォークと反ダウンクォークでできているもの」の区別は観測できません。しかし、それが変化して行くモードを、光が1ミリ進むよりも短い時間で観測すると、もしボトムクォークと反ボトムクォークの変化の率に違いがあれば、観測結果にある偏りが生じるはずなのです。
 そして、その偏りが理論が予測するとおりに発見されたので、小林さんと益川さんがノーベル物理学賞を受賞した、というわけです。

 では、小林‐益川理論だけで、この宇宙が物質だけでできているということの説明がつくかどうかと言うと、まだよくわかっていません。たとえば、スファレロンと呼ばれる、「空間の相転移」の一種が関係しているとも言われます。また、「大統一理論」という理論で物質と反物質の偏りが生まれる可能性もあり、その「大統一理論」はいまも「カミオカンデ」系列の実験装置などで検証が進められています。

 益川さんが書いておられたことで、他に印象が残っているのが、人間が乗った宇宙機の内部の気温をどうコントロールするか、というお話です。
 地球のすぐ外の宇宙では、太陽に照らされるとめちゃくちゃ熱くなりますし、太陽が照っていないほうは宇宙の温度(マイナス200度よりも低い)になってしまうので、ほうっておくと、一つの宇宙機の太陽側と日陰側で200度とかの温度差ができてしまう。無人ならば回転させてまんべんなく太陽が当たるようにすればいいのですが、人間が乗っているのでそれはできない。そこで、アンモニアが、熱いところでは気化し、冷たいところでは液体になり、液体になると毛細管現象で熱いほうに戻って行くという性質を利用して、毛細管現象が働きやすいように内側に細かい網を張った金属パイプにアンモニアを封じ込めて宇宙機の壁にそのパイプをめぐらせる、という方法で、内部の温度を均等にした。
 そして、その技術は、すぐにステレオのアンプを冷やす技術として応用された。
 宇宙機の熱をどうやってコントロールするかなんておよそ一般社会に役立ちそうにない技術ですが、それが日常的に使う音響機材に応用される。どんな特殊な発明がめぐりめぐって日常生活に役立つかわからない。科学の発明とか発見とかはそういうものなのだから、「日常に役に立つ/役に立たない」というところで最初から決めつけるものではない、という実例だったと思います。

 できれば、益川先生には、宇宙が物質だけでできている事情がもっとよくわかるまで、この世で見届けていただきたかった、と思います。
 このささやかな文章をもって、私のお別れのことばとさせていただくことにします。
 益川先生ありがとうございました。