猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

古典ギリシア語

 で、この半年、ラテン語の進捗はというと、忙しかったせいとたんに飽きっぽいせいでぜんぜん進んでいません。動詞の完了語尾をいちおう覚えたところで頓挫して、「接続法って何?」って感じです。
 そんな状態であるにもかかわらず、ラテン語の勉強でときどき言及される古典ギリシア語にふと興味を感じて、古典ギリシア語の教本も買ってきてぱらぱらめくってみました。まず感じたのが――
 ぜんぜん違う言語やん!!
ということです。いやこれは It's All Greek to me. という表現が存在するわけです。「わけわかんない」というだけなら、ラテン語でもわけわかんないじゃないですか――などと思っていたのですが、やっぱり、難しさ、というより、取っつきにくさは古典ギリシア語が上だと感じました。
 文字が違う、文字の並び順が違う……とかいうのは、最初から覚悟はしているわけですが、やっぱりことばの親しみやすさが違う。私はヨーロッパ言語は英語しか知らないし、それも高校卒業時から英語力が長期低落しているような状況だけど、ラテン語のことばの意味はわからなくても、「感じ」にはなんとなく親しみが持てる。しかも英語より発音しやすい。ラテン語起源のことばはフランス語などを経由して英語に入っているからやっぱり似ているところがあるのでしょう。イギリスにフランス語を持ちこんだ有力な集団がノルマン人ときいて、これはこれで意外だったのだけど。
 ところが、古典ギリシア語となると、英語に入っていたりはするけれども、ラテン語をいちど通っているか、それとも学術用語かで、あまり親しみがない。しかもいちばん最後の音節にアクセントが来たりして、なんか全体にごつごつしている感じがします。「曲アクセント」は自然に発音できるのだけど、「アキュート・アクセント」が長い母音に来たときに後ろを上げるというのがなんか慣れないんだなぁ。ところで、現代ギリシア語はアキュート・アクセントしか残っていないわけだけど、どう発音するんだろう?
 古代ローマの上流階級にとって、古典ギリシア語は必須の知識だったわけで、みんな勉強したのだな。いや、上流階級はどうせ暇があるからいいんだけど(でもキケロの手紙とか読んでみると「忙しいから連絡遅れた」とかいう言いわけで始まっていたりして、なんか苦笑してみたり)、新約聖書が古典ギリシア語ということは、必ずしも上層出身ではないキリスト教徒もギリシア語がわかったわけだよね? なんかそれってすごいことかも。
 そして、そのキケロなどが、「ギリシア語に頼っていてはいけない、ギリシア語でしかできないと思われている抽象的・学術的な議論もラテン語でできるようにしなければ」といろいろ努力して、ウェルギリウスギリシア詩形式も導入しつつ「ラテン語詩」を作って、ラテン語を広く通用する言語にしていった。実用だけでなくて、詩も作れる、学術的な議論もできるという、「花のある言語」にして行ったんですね。ラテン語が中世を通じて現在まで生き残っているのは、カトリック教会が使ったからだという事情はあるのだけれど、それにしても、古典時代に「花のある言語」になっていなかったら、やはりその生存力は大きく損なわれていただろうと思います。抽象的な議論ができないと、神様についてとか、運命についてとかいう議論ができないわけだから。
 そういうのを考えると、横文字の学術用語を横文字のままにして、「日本語にすると不正確になるから」と言って訳語を作らないという日本の学術の慣習は、日本語自体の生命力には貢献していない。それよりは「ネット上の日本語」のほうがはるかに日本語の生命力を担っていると思います。
 もうひとつ、古典ギリシア語で、「驚いた」というより、「ああ、そうだな。いままで気がつかなかったな」と思ったのが、英語で Greek というとまず現代ギリシア語を指すということです。私は、ラテン語を勉強するのに「ラテン語‐英語辞典」を使っているので、古典ギリシア語も「ギリシア語‐英語辞典」を買ってきたのですね(そのほうが安い)。それで、最初のところを読んでみると、明らかに発音が違う。もちろん、ラテン語でも古典式と教会式は違うわけで、ヨーロッパでもイギリスは古典ギリシア語の発音は違うのかな、と思っていたのだけど、さすがに「υ」が二重母音の後ろに来ると発音がvとかになると「あっれぇ〜?」って感じで、しかも、上に書いたように「アクセントは一種類でアキュート・アクセントだけで、強弱アクセントです」と書いてあると――あれ、これ違うやん! と気がつきました。ついでに、あとで気づいたのは、古典ギリシア語段階ですでに独立の文字を失っていたh音は現代語ではついに消滅したっぽい――ということです。
 ところで、古典ギリシア語は、アクセントが三種類、しかも高低アクセントです。ところで、「ラテン語はじつは強弱アクセントでは?」という疑惑があって決着がついていなくて、その根拠の一つに「ラテン語の子孫言語はすべて強弱アクセントなのに、ラテン語が高低アクセントであるわけがない」というものがあります。でも、高低アクセントだったことが明らかな古典ギリシア語が、現代には強弱アクセントになっているとしたら、これはあまり根拠にならないような気もしますがどうなんでしょう?
 で、話をもとに戻すと、日本で「ギリシア語」というと、だいたい古典ギリシア語を指します。……と思って、語学本売り場に行くと、現在では古典ギリシア語の教本より現代ギリシア語の教本のほうが数が多いような印象です。やっぱりオリンピック効果ですかね? これからは、「ギリシア語を勉強している」と言えば、「プラトンアリストテレスを原語で読むために難しいべんきょーしてるんだな」と思うより、「ああ、あのオリンピックのあった、あのエーゲ海とまぶしい太陽の国、で、たしかこないだ猛暑で大火事があったんですよね。あの国のことばをべんきょーしてるんですね」と思われる時代になるのだろうか? それはそのほうが自然だと思うけど。