猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

「ラテン系」について

 ところで、ラテン語を勉強していると言ったら、ある人に言われた感想:「どうしてラテンというと堅苦しいイメージなのに、ラテンというと陽気で明るい人たちなのだろう。ギャップが大きすぎる」。
 いちおう、古代にラテン語を話していた人たちの後継者たちがあの陽気なラテン系の人びとなんだと説明しておいたけれど、それでもその疑問は解消しないようだった。
 いまのラテン語イメージは、やはり、ヨーロッパ中世に教会のことばとして使われ、その後は、その教会の社会支配を覆す古典のことばとして学ばれたことで定着したのだろう。ともかく「教」・「学」のイメージが強く染みついている。
 あるいは、いま「ラテン語」と言っているのは、貴族・教養人・宗教人らのことばで、一般の「陽気で明るい」民衆のラテン語はイタリア語とかスペイン語とかに変化してしまったため、堅苦しい「ラテン」だけが「ラテン語」に残されたんだということもできる。
 で、実際にラテン語の文例をいくつか学んでみると、古典期のラテン人もやっぱり「陽気で明るい」人たちだったのではないかという感じがしてきた。ポンペイに残された落書きがいかにも開けっぴろげという話もあるし、キケロキケロー)なんかも、謹厳な文人というよりは、冗談好きで、けっこう軽率に判断してあとで後悔していたり……ということをよくやっているし。
 ラテン語の文例を学んでみると、古典ギリシアの人たちよりもずっと明るい人たちだったような感じがする。でも、もし古典ギリシア語を学んでみたなら、やっぱり古典時代のギリシア人もいまのギリシア人と同じで明るい人たちだったと思い始めるのかも知れない。