猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

極性のあるものはあるものどうし、ないものはないものどうし

 でも、「極性」のことを持ち出すと、じつは「極性のある物質には、極性のある物質か、イオンでできた物質しか溶けない」というのが本筋のはずなのです。なお、イオンというのは、原子一個か、またはいくつかの原子がグループ(「基」)がかたまりになって、電気を帯びている状態のことです。
 極性のある分子どうしは、その分子のプラスの電気を帯びている部分と、隣の分子のマイナスの電気を帯びている部分とが引っぱり合うので、引きつけあってくっつき合う。プラスのイオンは極性のある分子のマイナスの側に引っつき、マイナスのイオンになっている物質はプラスの側に引っつく。
 「溶ける」というのは、ある物質が、「溶かす物質」(液体。難しくいうと「溶媒」)のなかに分子やイオンの単位でばらばらになってしまうことです。
 「溶ける物質」(難しくいうと「溶質」)のほうが極性のある分子やイオンでできている物質であれば、極性のある「溶かす物質」のなかにならば、「溶ける物質」と「溶かす物質」の分子やイオンどうしが引っぱり合うので、ばらばらになっていきやすい。ところが、「溶かす物質」が極性のない分子でできていると、極性のある分子やイオンでできた物質がそのなかに入っても、自分たちのあいだで電気的に引き合う力のほうが強いので、自分たちだけでかたまってしまい、極性のない「溶かす物質」のなかには溶けていきません。
 たとえば、油というのは極性のあまりない物質なので、イオンでできている塩を油に入れても溶けない。
 ……でも、炒め物をするときとか、油に塩をばさっと入れたら、何か塩が油に溶けるような感じがするよね。炒め物をするときに、塩が油に溶けたか、塩の結晶がそのまま残っているかなんて気にしないし、見定めるのも難しいし、油の入ったフライパンや中華鍋に顔を近づけてじっと覗きこんだりすると危ないので、やめましょう。溶けないにしても、かたまりのまま入れたりしないかぎり、塩は油のなかに散らばるし、それに野菜や肉の水分には塩は溶けるので、塩が油に溶けないからといって炒め物をするのに不都合はありません。
 ところで、いまふと思いついた疑問があって、私は炒め物をするときには野菜とかを入れる前に油に塩を入れてしまうのだけど、これ、ふつうの手順と違うのかな? どうだろう? そのほうが塩が均等に混ざるような感じがするのですけど。
 さて、極性のない分子でできた物質は、ふつうは「極性のある物質」には溶けません。「極性のある物質」は、自分たちで電気的に引き合っているので、「極性のない分子」がそのあいだに細かく分かれて入りこんでいくことができないのです。だから、「極性のない分子でできた液体」と「極性のある分子でできた液体」も混ざり合わない。油の分子は極性があまり強くなく、水の分子は極性が強い。だから水と油は混じり合わない。
 また、「極性のない分子でできた物質」は「極性のない分子でできた液体」には溶けやすい。たがいに電気的に引き合わないので、細かく分かれて入りこんで行きやすいということです。
 だから、極性のある分子やイオンでできた物質は極性のある分子やイオンでできた液体には溶けやすく、極性のない分子でできた液体には溶けにくい。極性のない分子でできた物質は、極性のある分子でできた液体には溶けやすく、極性のある分子やイオンでできた液体には溶けにくい。実際には、「溶けるか溶けないか」はこう簡単に言いきることができないところがありますけれど、全体としての傾向はそうです。
 ……と言っていいんだったと思う。