猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

裁判員制度

 先週の土曜日にNHK総合でやっていた「裁判員」のドラマの後半だけ見た(なんかそういうの多いな〜)。配役やドラマも含めてなかなかよかったと思う。で、そのあとの番組予告で、「調査の結果、裁判員になりたくない人が国民の64パーセント(だったかな?)、さあどうする?!」みたいなことを言っていた。日曜の同じテーマでの討論番組のほうは見てないのだけど、私は、むしろ国民の3分の1が「裁判員に当たったらやってもいいよ」と考えているほうが驚きだった。「やりたくない人:9割」ぐらいだと思っていたから。
 私のばあい、いまの仕事をしていて、裁判員に当たったから仕事抜けますと言って職場で認めてもらえるか仮定して考えてみると、認めてはもらえるだろうけどあちこちに迷惑かけそうだし、裁判員をやっていて抜けたぶんの仕事はあとで割り増しになって回ってくるんだろうなという感じがする。「社会の理解が必要だ」といっても、たとえ勤め先の企業が理解があっても、取引先まで理解があるとは限らないしね〜。
 また、導入するなら導入するで、重大な刑事事件に限定するというのがいいやり方なのかも疑問だ。というより、重大な刑事事件では裁判員の責任が大きくなるわけで、かえって裁判員になるための心理的ハードルを高くしてしまうんじゃないかと心配したりする。
 裁判というのは、一種のゲームみたいな側面があって、いくら正しくてもその正しさを論証するために努力して、成功しなければ、正しいと認められないという性格がある。それがこの国の「正しさ」をめぐる文化みたいなのと相容れるのかな、という疑問もある。
 私は、法律的な判断はともかく、事実認定のようなところまで職業裁判官にぜんぶ委ねてしまういまの裁判制度が最善だとは思わないから(だって大学の法学部で事実認定のやり方とか嘘の見抜きかたとかの訓練を受けてきているわけじゃないでしょ?)、「司法への国民参加」という方向性には賛成なんだけど、だからといっていま導入が決定している裁判員制度が最善かというと、やっぱりちょっと考えてしまうなぁ。
 それより、裁判員制度の導入とか、京都議定書の発効とか、なんか「普通の生活」が根本から変わってしまうかも知れないことが着々と決まってるのに、なんかそういう変化意識というか緊張感みたいなのがないよね〜……ってオレだけか? まあ緊張感ないのは認めるけどね(だからコミケの振り込み忘れるんだよ……)。