猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

しつこく天動説の話

 では、地動説の「正しさ」とは何かというと、一つはケプラーの法則を利用して太陽系の天体の回転をほぼすべて説明できてしまう*1簡潔さと、理論としての完成度の高さだろう。また、ケプラーの法則は、太陽系だけでなく、銀河系の回転とかでも使える普遍的な法則なわけで、それと相性がいいというのはやはり地動説の「正しさ」にとって有利な点だろうと思う。
 あと、もう一つは、太陽系の外の、太陽系の近くの天体との位置関係を説明するには、天動説よりも適しているという要素がある。太陽系近くの他の天体(恒星)との関係では、地球から見れば季節によってその位置が微妙にずれて見えるという「年周視差(「年収視差」ってなんだよ? 「年」で切るとこんどは「年収支差」とかになるし……)」が天動説では説明できない。地球が動かないのにどうして恒星の見えかたが変わるんだということになってしまう。地球が太陽の周りを回っていると考えるとこの年周視差の存在はかんたんに説明できる。他の恒星との相対的な位置関係という話にすると、やはり地球中心説より太陽中心の地動説のほうが説明能力が高い。
 ただ、地動説は地動説でいいのだが、それを「太陽中心説」と解釈すると、地球近くの恒星との位置関係ということで考えても近似的にしか正しくない。太陽系の天体はすべて太陽系の重心を中心に回転しているのであって、太陽系の重心は太陽の中心とはずれている。したがって、太陽自体だって太陽系の重心を中心に「公転」しているのだ。
 太陽系外に、ちょうど20世紀末〜21世紀初頭ぐらいの水準の天体観測技術と天文学を持った文明があって、そこの宇宙人さんが太陽系を観測していたとする。すると、その太陽系外宇宙人さんは、この「太陽系の重心を中心とする太陽の動き」を利用して、少なくとも太陽系で最大の惑星の木星の存在ぐらいは見つけているはずである*2。地球人類はまさにこの方法で太陽系外の惑星系の存在を見つけているのだから。
 たぶん、この太陽系外の惑星の発見が相次ぐまでは、「太陽系が太陽中心といっても太陽も太陽系の重心を中心にわずかだから公転している」という事実の重みは、そんなに大きく見られていなかったように思う。少なくとも「だからどうした?」的な事実に過ぎなかったのが、系外惑星の発見につながることで、太陽を一つの恒星として、また多くの恒星を「太陽のように惑星を持った存在かも知れない」として考えることへの端緒みたいになったのじゃないかと思うのだ。
 そうでもないのかなぁ? 昔から重要だったんだろうか? 地球の都合を考えると、太陽を「公転」させる主な要因はやっぱり巨大惑星の木星であるわけで、太陽は木星の方向に引っぱられていると考えてよく、ということは、地球が木星に近いときにはほんの少しだけ地球は標準的な軌道より太陽に近くなり、地球が木星の反対側に行けば太陽は遠くなる――という効果があることが考えられる。でも、それを言えば、地球自体だって木星に引っぱられているわけし、地球のほうが木星に近いし、小さいから大きく引っぱられるだろうし……なんかよくわからなくなってきたぞ。
 今日は月が円いけど、満月かな? 大潮だとしたらおさかながたくさん釣れる日だ……。

*1:惑星どうしが引っぱり合う効果「摂動」とか、あと水星は相対性理論の効果とか考えないといけないようだけれど。

*2:地球からも、地球程度の質量の天体の存在は発見できないが、木星程度の惑星ならばこの方法で発見できる。ただし、ドップラー効果を利用するか惑星の恒星面通過時のわずかな減光を利用するかという観測方法の制約から、惑星軌道を横から見る位置から観測していることが条件となる。惑星が軌道を描いて回るのを上から見下ろす位置ではたぶん検出できない。つまりおひつじ座、おうし座……という黄道星座の宇宙人たちに太陽の惑星系=太陽系を発見するチャンスが大きいということになる。